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東京地方裁判所 平成4年(特わ)1111号・平4年(特わ)407号・平4年(特わ)645号 判決

主文

被告人を懲役四年六か月に処する。

未決拘留日数中三六〇日を刑に算入する。

理由

(認定事実)

序 被告人の経歴並びに東京佐川急便及びその関係者

被告人は、もと信用金庫員であったが、昭和五〇年、東京佐川急便の前身である渡邉運輸株式会社に入社し、昭和五五年、東京佐川急便の取締役、翌年、常務取締役となり、経理全般を統括していた。Bは、昭和五九年ころから、経理課長として被告人の下で経理業務を担当していた。

東京佐川急便株式会社(以下「東京佐川急便」という。現在は、合併により、佐川急便株式会社となっている。)は、東京都江東区新砂<番地略>に本社を置き、一般貨物運送事業を目的とする会社であるが、その前身はCが昭和三八年に設立した三好運送株式会社に遡り、翌昭和三九年渡邉運輸株式会社と商号を改め、個人経営の運送会社として順調に業績を拡大していた。その後昭和四九年、業務提携によりDが統括する佐川急便グループの系列下に入り、東京佐川急便の名称で営業を続けたが、昭和五三年ころ、渡邉運輸株式会社の株式の六〇パーセントを無償でDに提供し、その結果東京佐川急便はD側の支配下に属することとなった。そして、東京佐川急便は、東京ブロックの主管店として多数の店舗を傘下に置き、業績の向上に尽力した結果、平成元年当時には、東京ブロックの売上高は、佐川急便グループ全体の四〇パーセント弱を占めるまでになっていた。その時点では、発行済株式総数二五万九二〇〇株のうち、一六万五二四〇株(63.75パーセント)をD及びその支配する会社が保有し、残りの九万三九五〇株(36.25パーセント)をCが保有していた。

清和商事株式会社(以下「清和商事」という。平成二年に京都佐川急便株式会社と合併して、佐川急便株式会社となった。)は、佐川急便グループの会社を統括するために昭和五〇年に設立された会社であり、Dが全株を支配していた。清和商事は、昭和五七年に基本組織要綱を定めたほか、昭和五九年ころからは佐川急便グループの各社と清和商事が佐川急便グループ各社の業務を統括する旨の業務統括契約を締結し、それまで事実上行っていた統括業務について法的整備を行った。東京佐川急便は、平成元年当時、Dが支配する清和商事株式会社を統括会社とする佐川急便グループに所属し、Cが代表取締役社長であった。

第一  市原観光開発にかかる特別背任事件(以下「市原観光開発事件」という。)

一  犯行に至る経緯等

1 市原観光開発事件の関係者等

(一) 市原観光開発

市原観光開発株式会社(以下「市原観光開発」という。)は、千葉県市原市内におけるゴルフ場の建設及び会員権の販売等を目的として、昭和六三年八月に設立された会社であり、資本金は全額、オムネス株式会社(以下「オムネス」という。)が出資し、事務所は、当初は東京都江東区木場<番地略>ツマコイ木工ビル(昭和六三年一〇月以降は、東京都江東区木場<番地略>セントラルビル)のオムネスの本社事務所に置いていたが、平成元年五月ころ、東京都中央区日本橋人形町<番地略>CICビルに移転した。

オムネスは、不動産の売買又は仲介等を行うことを目的として、昭和六一年三月に設立された会社であり、東京佐川急便の関連会社で被告人が事実上の経営者的地位を占めていて、その意向に従って運営されており、オムネスが全額出資している市原観光開発についても同様であった。

市原観光開発は、昭和六三年秋ころから三六億円を東京佐川急便の連帯保証を得て借り入れ、市原市内でのゴルフ場建設に乗り出したが、必要な土地の地上げをおろか、その前段階の地主の同意証明書を集めるのも極めて困難であることが判明したために、平成元年一月末ころまでにはゴルフ場建設を事実上断念し、その結果数億円の経費を支出しただけに終わり、債務超過の状態にあり、また、他の事業計画はなかった。なお、オムネスも、債務超過の状態にあった。

(二) リバスター音産

リバスター音産株式会社(以下「リバスター音産」という。)は、昭和五七年一二月、Dが後援する歌手のため、本社を東京都千代田区麹町<番地略>DIK麹町ビルに置き、レコードの製作・販売等を目的として、清和商事が資本金を全額出資して設立された会社であるが、レコードの製作・販売等(以下「本業」ないし「本業部門」ということがある。)は当初から不振で、毎月赤字を出しており、昭和五九年ころまでにその総額は約六億円に達し、昭和五九年ころから清和商事に代わって東京佐川急便が資金援助を行うようになった。その関係で、被告人が代表取締役社長に就任したが、本業部門の経営は右歌手が行っていた。

昭和五九年一一月以降もリバスター音産の本業部門は毎月赤字を重ね、東京佐川急便からの資金援助も少ない月で約二〇〇〇万円、多い月には約六〇〇〇万円に及んだ。本業部門での利益が全く見込めなかったことから、被告人は、本業部門とは別に昭和六〇年二月ころから、東京佐川急便から資金を貸し付けた上、東京佐川急便でいわゆる財テクとしての株取引を行っていたBにリバスター音産においても同様の株取引を行わせるようになった。しかし、それによる利益も上がらず、昭和六三年九月期の決算では、株取引による利益が八億円余りも出たような形にしていたが、実際には一八億円もの累積損失となっており、本業部門における東京佐川急便からの借入金だけでも一九億円に達する状態で、債務超過の状態にあり、これを解消する具体的な事業計画もなかった。

2 東京佐川急便における株取引

東京佐川急便では、昭和五七年ころからいわゆる財テクとしての株取引を金融期間からの借入金を原資に行っていたが、昭和五九年初めころからは、経理課長となったB及び経理課係長のEが株取引を担当していた。

東京佐川急便における有価証券の毎年一二月末日現在の帳簿価格は、昭和五九年が約六〇億円、昭和六〇年が約八〇億円、昭和六一年が約一六〇億円、昭和六二年が約三二〇億円、昭和六三年が約五〇〇億円と急増し、ほかに、昭和五九年四月ころから特定金銭信託(以下単に「特金」ということもある。)を利用しての株取引を行っており、昭和六三年末の時点で二百数十億円に達していて、その時点における保有株の帳簿価格はおおむね七五〇億円前後の高額に上っていた。

東京佐川急便における株取引では、決算書類上は昭和五九年には若干の利益が、昭和六〇年には約五五〇〇万円の売却損が、昭和六一年には約一二億円の、昭和六二年には約四三億円の、昭和六三年には約四一億円の売却益が計上されているものの、実際には、借入金の金利を支払うと損益半ばするか若干の赤字の状態にとどまっていた。しかし、売却できず保有せざるを得ない株の評価損(含み損)が大きく、昭和六〇年末には七億円近く、昭和六一年末には約一五億円、昭和六二年末には約五六億円、昭和六三年末には約一一〇億円と年々拡大する一方であり、加えて、同年末には特定金銭信託による株取引等の評価額が約三〇億円前後に上っていた。

昭和六三年末現在の東京佐川急便の保有している株(取得価格約五〇〇億円)のうち、Bが担当していたのは、一六銘柄であり、その取得価格は約三三〇億円で、その評価損は約九二億円もの高額に達しており、残り約一八億円はEが購入した分によるものであった。Bが担当していた株取引の特色は、発行済株式数の少ないいわゆる小型株(額面五〇円の場合六〇〇〇万株以下)を大量保有していること、一日の出来高の極端に少ない株式がかなりあること、ニチモウ株、金門製作所株、オリエンタル酵母工業株、セーラー万年筆株、新家工業株など東京佐川急便が仕手筋の一翼を担って高値で購入したものの売り抜けに失敗したものもあることなどであって、その扱った株は、そもそも売却が困難なものが少なくないばかりか、ある程度まとめて売りに出せば大きな値崩れが予想されるものがほとんどであった。そのため、東京佐川急便の保有株は、売却方法によっては、評価額を一〇〇億円以上も上回る売却損の発生も予想される状態にあった。

すなわち、東京佐川急便における株取引は、表面的には利益が出ていたが、昭和六三年一二月三一日の時点では、莫大な評価損があるばかりか、売却が困難で無理に売却すれば大きな値崩れが予想される株が多数あるという状態にあった。

3 昭和六三年一二月三一日までのリバスター音産における株取引

リバスター音産の株取引は、その本業部門とは別に、被告人の指示の下、昭和六〇年二月ころから、主として東京佐川急便からの貸付金を原資にして、Bが合わせて担当していた。決算期である毎年九月二〇日現在の帳簿価格は、昭和六〇年が二億円台、昭和六一年が約三億円台、昭和六二年が約五億円台、昭和六三年が約一五〇億円であり、同年末もほぼ同額であった。

リバスター音産における株取引では、決算書類上は、昭和六〇年九月期では約六九〇〇万円の売却益、昭和六一年九月期には約七二〇〇万円の売却益、昭和六二年九月期には約六億六〇〇〇万円の売却益(ただし、内約四億七〇〇〇万円は東京佐川急便との相対取引による益出し)、昭和六三年九月期には約七億五〇〇〇万円の売却益が計上されているものの、実際にはその保有株について昭和六三年には約三〇億円の評価損が発生し、同年末にはそれが約三三億円に増加していた。

すなわち、昭和六三年一二月三一日現在のリバスター音産の保有する株は莫大な評価損を抱えている上、そのほとんどが東京佐川急便が多量に保有している売却が困難な株であった。

4 株取引禁止令

東京佐川急便及びリバスター音産の株取引が右のような状態にあった平成元年一月一四日、東京佐川急便及びリバスター音産の統括会社である清和商事の代表取締役社長であるFは、清和商事本社における佐川急便グループの社店長会議の席上、佐川急便グループでは今後は株取引を行わない、現在保有している株はかなりの損が出ても速やかに売却せよとの指示(以下、売却命令部分を含めて「株取引禁止令」という。)を行い、そのころ、C及び被告人も、これに従う意向を表明した。

5 市原観光開発で株取引を行うに至った経緯

株取引禁止令が出た時点で東京佐川急便が保有していた株は、特金も含めると評価損が一四〇億円を超えているばかりか、売却が困難な株がかなりあり、無理に売却すると場合によっては評価損を更に一〇〇億円ほど上回る売却損の発生が予想される状態であった。このような損失が発生した場合、それが清和商事に知れることになれば、東京佐川急便で経理を担当していた被告人のみならずCの責任問題に発展し、経営権を失う結果になりかねない状態にあった。

そこで、Bは、平成元年一月下旬ないし二月上旬ころ、被告人に対し、東京佐川急便が保有している株のうち、売却が困難な株約二〇〇億円分を別会社に引き取らせる、その株は時期を見て売却していくが、売却損の発生が予想されるので別に二〇〇億円を株取引で運用してその利益で補填していく、更に、リバスター音産に発生している株取引の売却損及び評価損を解消する目的で一〇〇億円を株取引で運用する、株取引はBが担当する、必要な資金五〇〇億円は東京佐川急便の保証で金融機関から借り入れる旨の提案をした。被告人は、東京佐川急便における株取引の実態が右のようなものであることを充分に認識しており、前記のような責任問題を発生させないためにはこのような方法をとるしかないと考え、更に、株取引がうまくいって東京佐川急便から引き取る株の売却損並びにリバスター音産の売却損及び評価損を解消することを期待して、これを受け入れ、Bに市原観光開発をそのための別会社として提案した。そして、ここに、被告人、B間に、東京佐川急便の保証で市原観光開発が金融機関から資金を借り入れて、市原観光開発が東京佐川急便から売却が困難な株を引き取った上、残りの資金でBが市原観光開発の名義で株取引を行う旨の合意が成立した。

二  犯罪事実

被告人は、東京佐川急便株式会社の常務取締役であったが、前記のとおり株取引禁止令が出されたことから、同社経理課長のBと右のように相謀り、これまでの株取引によって既に発生している東京佐川急便における多額の損失及び今後の売却の過程で生ずる損失の拡大の事実を、さしあたり実際以上に小さく見せるとともに、右禁止令に従うかのように装うことにより、東京佐川急便を統括する清和商事からの被告人やCに対する責任追及をかわし、被告人らの取締役としての地位及びそれに伴う東京佐川急便におけるこれまでどおりの経営権を維持確保しようと企てた。そして、そのためには、市原観光開発に東京佐川急便で所有する売却の困難な株式あるいは売却により多額の損害発生が明るみに出るような株式を時価前後で引き取らせて、売却したように装い、あるいは時価より高く引き取らせてその損失を小さく見せかけるとともに、新たな株取引を行い、あわよくばこれまでの損失を埋め合わせるよりほかないものと考えた。

しかし、東京佐川急便をその統括下におく清和商事から、既に株取引禁止令が出されている上、東京佐川急便における従来の株取引の経験にかんがみても、新たな株取引を行うことは、損害拡大につながるおそれがあり、さらに、これを清和商事に内密に行うからには、短期間に損失の埋め合わせを図るとともに借入利息等をも補填しようとすることになる結果、市場で人気が出ていて値動きの期待できる特定の銘柄に集中的に大量の資金を投入する形態で株取引を行わざるを得ず、また、投入しようとする資金額が東京佐川急便の年間売上高や営業利益と比較しても相当高額であるため、一歩間違えば多大な損失を生じ重大な結果になりかねない危険性があった。しかも、株取引を行う市原観光開発は、当時債務超過の状態にあり、そこに新たな資金を借り入れさせた場合、その返済が困難もしくは不可能になるおそれがあった。

被告人は、株式会社である東京佐川急便の常務取締役として、同社の経理業務全般を統括し、債務保証や貸付けを行う権限を有するものであったが、右のような状況下において、債務超過の状態にある市原観光開発で新たな株取引を行うことが損害の発生拡大につながるおそれがある以上、同社において株取引資金を借り入れる際、これを保証することを差し控えるなど、東京佐川急便に損害を負わせることにならないように業務を遂行すべき取締役としての任務を負っていた。

それにもかかわらず、被告人は、Bと共謀の上、被告人やCらの前記のような利益を図る目的をもって、被告人の株式会社の取締役としての右任務に背き、東京佐川急便本社において、表Ⅰ記載のとおり、平成元年二月一四日から同年四月三日までの間、前後三回にわたり、市原観光開発がインターリース株式会社ほか二社から合計四〇〇億円の融資をそれぞれ受けるに際し、前記のような状況を共々認識しながら、担保もとらず、従来の株取引におけるような損失発生を繰り返さないための特段の措置を新たに講ずることもないまま、いずれもそのころ、同所において、市原観光開発の借入金債務の連帯保証人として東京佐川急便代表取締役C名義の記名押印をした必要書類を作成した上、これらを前記各金融機関の担当者に交付するなどして、市原観光開発の株式会社インターリースほか二社に対する債務につきそれぞれ連帯保証し、東京佐川急便に対し同額の損害を負わせた。

表Ⅰ

番号

1

2

3

年月日

平成元年ニ月一四日

同年ニ月二〇日

同年四月三日

債務者

インターリース株式会社

株式会社北陸銀行

株式会社住友銀行

金額

一〇〇億円

二〇〇億円

一〇〇億円

第二  リバスター音産にかかる特別背任事件(以下「リバスター音産事件」という。)

一  犯行に至る経緯等

1 平成元年における市原観光開発の株取引

市原観光開発の平成元年三月の決算期では、株取引による売却益を約一億六〇〇〇万円計上しているが、株取引関係では金融機関からの借入金が三〇〇億円であるのに、保有する株を含めて資産の総額は約二八七億円しかなかった。また、平成元年九月三〇日現在では、株取引関係では金融機関から借入金が四〇〇億円であるのに保有する株を含めて資産の総額は約三三一億円に減少していた。そして、市原観光開発における株取引は、その後も損を重ねていき、同年一二月には七〇億円を超える債務超過の状態にあった。

2 平成元年におけるリバスター音産の株取引

(一) 平成元年九月二〇日までの株取引

リバスター音産では、株取引禁止令が出た後は、市原観光開発が行う株取引から生ずる利益分配を期待し、市原観光開発との間で匿名組合契約を締結していたこともあって、東京計器株を二万株売買した以外は、以前から保有していた株の売却のみを行っていた。しかし、市原観光開発が行っていた株取引が利益を上げるどころか莫大な損失を発生させたために、期待していた匿名組合からの利益分配はなく、平成元年九月二〇日期の決算においては、保有している株の帳簿価格は約一二七億円、売却損は約八億円、評価損は約四四億円となった。そして、残存保有している株は全部が多額の評価損を抱えている上、その銘柄も昭和六三年末の段階で東京佐川急便が売却が困難なため多量に保有していたものと同一のものがほとんどであった。

(二) 平成元年九月から同年一二月までの株取引

平成元年九月二〇日期におけるリバスター音産の保有株の実態が前記(一)記載のとおりであったことから、被告人はこのままでは株取引の実態が露見し自分の責任問題が発生するばかりか、Cらを含む東京佐川急便の経営陣の責任問題に発展するものと考えた。そこで、決算書が清和商事に送付される同年一二月の時点でその損失を解消している状態であれば、清和商事も問題にしないであろうということで、東京佐川急便がリバスター音産に資金を貸し付けて、Bの担当で新たに株取引を行うことになった。

そこで、東京佐川急便は、原則として月内に返済する約定で金融機関から無担保で借り入れることができることとなっている月中枠と呼ばれている資金枠(以下「月中枠」という。)を利用して、平成元年一〇月二日、金融機関から一五〇億円の融資を受け、そのころ、これをリバスター音産に貸し付けた。

Bは、この一五〇億円を原資としてリバスター音産の計算で株取引を開始したが、東京佐川急便の決算期には月中枠による借入金を一旦全額返済することから、平成元年一二月中に右一五〇億円を原資として購入した株の全部を売却した。その結果、同年九月二〇日現在で保有していた株の売却損(約七八〇〇万円)を除いて、約七億円の売却損が生じ、右一五〇億円に対する金利も含めると約一三億円の損失となった。また、保有している株の評価額は九月期とほぼ同じ約四三億円であった。

そして、前記約一三億円の損失に相当する分に加えて、リバスター音産の当座の諸費用に充てる分を除くと、一五〇億円の借入金のうち一三六億円しか返済できなくなっており、不足の一四億円は、結局東京佐川急便からリバスター音産への貸付けによって返済した。

(三) 平成元年一二月二九日にリバスター音産に一五〇億円を貸し付けるに至った経緯

平成元年一二月二〇日ころ、Bはリバスター音産における前記(二)記載の一五〇億円を原資とする株取引が金利込みで約一三億円の損失となったことから、平成二年一月以降も東京佐川急便から一五〇億円を借り入れて、リバスター音産で更に株取引を行い、平成二年九月二〇日の決算期までには売却損を解消し、評価損も解消しようと考えた。そこで、そのころ、Iを介して被告人に年明けに一五〇億円の貸付けを受けて再度リバスター音産で株取引を行いたい旨を申し入れたところ、被告人もこれを了承した。ここに、被告人、B間に、リバスター音産が東京佐川急便から一五〇億円を借り受けて、リバスター音産の名義で新たな株取引を行う旨の合意が成立した。

ただ、東京佐川急便は一五〇億円を貸し付けるものの、前記(二)記載の東京佐川急便からリバスター音産に貸し付けた一四億円については、この一五〇億円のうちから直ちに返済することとした。

二  犯罪事実

被告人は、株取引禁止令にもかかわらず、Bに指示して、内密にリバスター音産で続けてきていた右のような株取引によって多額の損失が発生、拡大していたために、これが露見することとなれば、清和商事からの被告人らに対する責任追及を免れず、そうなれば、東京佐川急便における被告人らの取締役としての地位及びそれに伴う同社の経営権にまで影響が及びかねないことから、そのような責任追及をかわし、被告人らの取締役としての地位及び東京佐川急便におけるこれまでどおりの経営権を維持確保しようと企てた。そしてそのためには、リバスター音産において更に新たな株取引を行い、あわよくばこれまでの損失を埋め合せるよりほかないものと考えた。

しかし、東京佐川急便、市原観光開発、リバスター音産における従来の株取引の経験にかんがみても、更に新たな株取引を行うことは、損害拡大につながるおそれがあるのみならず、短期間に損失の埋め合わせを図るとともに借入利息等をも補填しようとすることになる結果、市場で人気が出ていて値動きの期待できる特定の銘柄に集中的に大量の資金を投入する形態で株取引を行わざるを得ず、また投入しようとする資金額が東京佐川急便の年間売上高や営業利益と比較して相当高額であるため、一歩間違えば多大な損失を生じ重大な結果になりかねない危険性があった。しかも、株取引を行うリバスター音産は、多額の累積赤字を抱え、特に有価証券取引において多額の欠損金を出し、保有有価証券の評価損も多額に上っていたため、そこに新たな資金を貸し付けた場合、その返済を受けることが困難もしくは不可能になるおそれがあった。

被告人は、前記のとおり、株式会社である東京佐川急便の常務取締役として、同社の経理業務全般を統括し、貸付けや債務保証を行う権限を有するものであったが、右のような状況下において、債務超過の状態にあるリバスター音産で新たな株取引を行うことが損害の発生拡大につながるおそれがある以上、同社に株取引資金を貸し付けることを差し控え、東京佐川急便に損害を負わせることにならないように業務を遂行すべき取締役としての任務を負っていた。

それにもかかわらず、被告人は、Bと共謀の上、被告人やCの前記のような利益を図る目的をもって、被告人の株式会社の取締役としての右任務に背き、平成元年一二月二九日、東京佐川急便本社において、前記のような状況を共々認識しながら、担保もとらず、従来の株取引におけるような損失発生を繰り返さないための特段の措置を新たに講ずることもないまま、被告人において、東京佐川急便代表取締役C名義の記名押印をした一部利息を天引きした後の金額である額面合計一四九億八七九七万九四五三円の小切手五通を作成して、一五〇億円をリバスター音産に貸し付け、東京佐川急便に対し同額の損害を負わせた。

第三  北祥産業、北東産業にかかる特別背任事件(以下「北祥、北東開発事件」という。)

一  犯行に至る経緯等

1 東京佐川急便及びその前身

東京佐川急便の歴史については、前記のとおりであるが、昭和四九年、業務提携によりDが統括する佐川急便グループ(清和商事株式会社を統括会社とする。)の系列下に入り、東京佐川急便の名称で営業を続けた。ところが、昭和五一年ころ、Dは、有限会社丸辰運輸の営業上の名義を新東京佐川急便とした上、都区内の西部地域を東京佐川急便の営業区域から外してこれを新東京佐川急便に担当させるなどしたため、Cは、このままでは経営困難になることを恐れ、昭和五三年ころ、渡邉運輸株式会社の株式の六〇パーセントを無償でDに提供し、その結果東京佐川急便はD側の支配する会社となった。そして、東京佐川急便は、東京ブロックの主管店として、多数の店舗を傘下に置き、業績の向上に尽力した結果、平成元年当時には、東京ブロックの売上高が、佐川急便グループ全体の四〇パーセント弱を占めるまでになっていたことは前記のとおりである。

しかし、Cは、株式の過半数を佐川側に保有され、佐川急便グループに属する会社の社長がDによりしばしば更迭されていることから、自分もいつその地位を失うかもしれず、そうなればこれまで築き上げてきた会社の経営権をすべて失うことになり、到底それには堪えられないという思いを強めていた。そして、経営権や地位を守るためには、政治家の影響力を背景にしていく必要があると考え、多数の政治家との交際を深めていたが、それのみならず暴力団の影響力をも背景に、D側に対抗する必要があるとの思いをひそかに抱いていた。

2 G、HとCの関係

組織暴力団稲川会の幹部であったGは、稲川会横須賀一家総長であった昭和五三年にいわゆる韓国詐欺賭博ツアー事件により逮捕され、その後服役したが、そのころから、将来の暴力団のあり方として、事業経営その他の経済活動にも進出して勢力を拡大していくことが必要であるとの考えを抱いていた。

Hは、昭和四一年ころから、銀座でクラブ「花」を経営していたが、当時既に暴力団稲川会の幹部であったGが客として出入りしていたことから、同人と知り合い、Gが出所した直後の昭和五九年一〇月ころ、右のようなGの仕事を手伝うことになった。そして、同年一二月ころ、知人から東京佐川急便が未だ暴力団と関係のないことを聞き、資金調達に利用するのに好都合な企業として接近を図ることとし、かつてクラブ「花」の客であったCを訪ね、不動産業の会社を設立するのでよろしく支援をいただきたい旨を告げ、以後東京佐川急便の配送センター用地等の仲介をすることで、東京佐川急便に出入りするようになった。

翌昭和六〇年二月には、右の趣旨の会社として、Gが資本金三〇〇〇万円の全額を出資しその実質的支配の下に北祥産業株式会社(以下「北祥産業」という。)が設立され、暴力団員ではないHがその代表取締役となった。これより先の一月ころ、Hは、Cに、Gの下で働いていること及び右会社がGの支配するものであることを打ち明けていたが、前記のように双方それぞれの思惑を抱いていたことから、そのころすでにGとCとは料亭で会食するまでになっていた。そして、Cは、配送センター用地の取得に関して北祥産業に高額の仲介手数料を支払う一方、Gの影響力によって、Cの私事に関するブラックジャーナルの記事が掲載されないように差し止めてもらったり、知人の息子が経営に関与する建設中のゴルフクラブの内紛を解決してもらうなどして、Gの影響力の大きさを実感し、必要なときにこれを利用できるようにしたいという思いを一層強め(後に政治家との交際を深める中で、その依頼により右翼の街頭宣伝を中止させるなどの政治的な場面にも利用されることとなった。)、他方Hも、Gの指示に従い、東京佐川急便を事業資金を取得するための手段として利用できるようにするため、用のないときでもCや被告人を訪問して面談するようにし、親密な関係作りに努めていた。

ところが、同年一〇月、北祥産業が金融機関から融資を受けようとした際、Gの支配下にあることが金融機関側に発覚したために融資を受けることが困難になるという事態が生じた。そこで、昭和六一年二月には、東京佐川急便の系列会社のような外観を呈する会社として北東開発株式会社(以下「北東開発」という。)を設立し、被告人が代表取締役になり、また東京佐川急便の関連会社の役員を登記簿上の役員にするなどして、北祥産業では得にくくなった融資を受けやすくした。

被告人は、北祥産業、北東開発が暴力団稲川会の支配する会社であり、東京佐川急便との関係が深まるのを快く思っていなかったが、Cの意向に従うことにしたものである。

3 北祥産業、北東開発の資金調達に対する東京佐川急便の援助

そのような中で、被告人は、Gの指示を受けたHの働き掛けにより、Cの指示を受けて、東京佐川急便からまずGの株式購入資金の融資を行い、更に、東京佐川急便が連帯保証することにより、北祥産業及び北東開発が金融機関からゴルフ場の開発資金の融資を受けられるようにした。Gは、まず、茨城県内の岩間カントリークラブの開発を手掛け、谷田部カントリークラブ、谷和原のゴルフ場、千葉県内のゴールドバレーカントリークラブのゴルフ場建設にも手を広げていった。そして、その資金の借入れにあたり、被告人は、Cの指示に従い東京佐川急便で連帯保証をして、北祥産業、北東開発に融資を受けさせた結果、平成二年三月の時点で、北祥産業、北東開発の両社を合わせた金融機関からの借入金の総額は、約六三〇億円に達し、そのうち東京佐川急便の保証による分は、約五四〇億円にも達していた。

4 G関連企業の経営実態

ところで、実際には、そのようにして借り入れた資金のうちのかなりの部分は、ゴルフ場開発に使用されず、Gの株式投資資金やGが成立した多数の関連企業の運営資金に流用されていた。

ところが、株価が下落し始め、とりわけGが大量に買い占めていた東急電鉄株が大きく値下がりして値上がりが見込めない状況にあり、取得した株式を担保に借り入れた資金で更に株式取得をしていたため、株価下落により担保の追加(追い証)を求められるなど、Gの株式投資は破綻状態にあり、しかも追い証の増加により株の売却で得た資金での既存債務の弁済の見込みも少なくなっていた。また、ゴルフ場の開発のうち、岩間カントリークラブはほぼ完成し、その会員権資格保証金の名目で集めた三八四億円のうち一部は借入金返済にあてられたが、過半の二〇〇億円については、東京佐川急便が保証していた融資の返済にあてる約束になっていたにもかかわらず、Gの株式取得資金に流用されており、Gの株式取引が破綻していたこともあって、二〇〇億円の回収も困難になっていた。その他のゴルフ場については、ゴールドバレーカントリークラブは用地取得が難航して開発が危ぶまれる状態にあり、谷和原のゴルフ場は開発許可を得る見込みがなく断念し、谷田部カントリークラブはその開発名目で多額の資金を借り入れながらわずかの用地しか取得しておらず開発許可を得るのに必要な用地取得が極めて困難になっていたなど、いずれのゴルフ場についても開発による収益で北祥産業、北東開発の債務を返済することは期待できず、投資した資金の回収は困難な状態にあった。更に、他のGの関連企業に回された資金についても、同様に回収は困難な状態にあった。

その結果、北祥産業、北東開発は、大幅な債務超過となっており、資金繰りは既に自転車操業の状態で、弁済期の来る債務の弁済にあてるための資金調達に汲々としていたが、平成二年三月には「暴力団株で太る」という見出しの記事が掲載され、北祥産業、北東開発は金融機関から借入金の返済を求められ、借替えも含め新規の貸付けを断られるものが増え、資金繰りにますます窮するようになった。したがって、東京佐川急便としては、早晩保証債務の履行を迫られるおそれの高い状態になっていた。

5 被告人及び関係者の認識内容

Cと被告人も、遅くとも平成二年五月初めころまでには、Gの株式取得資金に借入金の相当部分が流用されているが、株式取引が破綻状態にあることや、ゴルフ場事業の進展状況につき、大筋のところはHやLの報告や言動等により認識していた。したがって、被告人、C、G、Hは、Gの株式投資や関連企業に流用された資金の回収の見通しが暗い上、前記ゴルフ場の開発に伴う債務の返済の見通しもつかないことから、このまま漫然と保証行為や貸付けをすることによって、被告人、Cの取締役としての忠実義務に背き、東京佐川急便にますます損害を拡大させることを認識していた。しかし、被告人とCは、東京佐川急便の北祥産業、北東開発に対する保証額が莫大な金額に上っており、このまま保証や貸付けを打ち切ると、資金繰りが続かなくなって右両社の倒産を招き、暴力団関連企業に対する債務保証等が露見するばかりか、莫大な保証債務の履行をせざるを得ない事態に追い込まれて、Cや被告人の経営者としての責任を追及され、暴力団の影響力を背景にしようとするCの意図も無に帰することになり、その地位を維持確保することが困難になることが予想されるため、もはやG側からの債務保証や貸付けの申し出を断ることは心理的にも困難な状態にあった。そして、被告人とCの置かれたこのような立場については、GはもとよりHも十分認識していた。

二  犯罪事実

被告人は、稲川会最高幹部G(平成二年一〇月一〇日まで二代目会長、平成三年九月死亡)の意を受けたHから、北祥産業、北東開発を債務者とする金融機関からの借入れにつき東京佐川急便の連帯保証、あるいは北祥産業、北東開発に対する東京佐川急便からの貸付けを要請されたのに対し、Cと相謀り、右のとおり北祥産業及び北東開発の資金繰りが困難な状況にあり、ここで追加融資をしても、もはやその回収が困難でかえって損害を拡大する結果になることを認識しながら、これまでの北祥産業、北東開発に対する放漫な債務保証や貸付けの事実が明らかになり、C及び自己の経営責任を追及され、東京佐川急便における経営権を喪失する結果になりかねないため、これを回避しようとし、特にCにおいては、右要請に応じなければこれまで暴力団の力を背景にして東京佐川急便における経営権の維持確保を図ることをもくろんできたことが結局水泡に帰する結果になることから、その力を利用し続けることを可能にするためにも、右要請に応ずることにより、その経営権を維持確保しようと企てた。

Cは、株式会社である東京佐川急便の代表取締役として、業務全般を統括し、被告人は、その常務取締役として、同社の経理業務全般を統括し、いずれも、債務保証・貸付けを行う権限を有していたものであるが、両名とも、債務保証を行うに当たっては返済能力の危ぶまれるものの保証は差し控え、あるいは従前の保証債務以上の損害が生ずることのないよう、損害の発生や拡大を防止する万全の措置を講じた上でこれを行い、貸付けを行うに当たっても、返済能力の危ぶまれるものの貸付けは差し控え、あるいは十分な担保を差し入れさせて貸付金の回収を確保するなど、損害の発生や拡大を防止する万全の措置を講じた上でこれを行うようにするなどして、東京佐川急便に損害を負わせることにならないように業務を遂行すべき取締役としての任務を負っていた。

それにもかかわらず、被告人は、C、G、Hと意思を相通じ、共謀の上、融資により北祥産業、北東開発ひいてはGの利益を図る目的をもつとともに、被告人、Cにあっては、更に、自己らに対する責任追及を免れ経営権を維持確保するなど、被告人及びCの利益を図る目的を併せもって、被告人、Cの株式会社の取締役としての前記任務に背き、

(一) 表Ⅱ(一)記載のとおり、平成二年五月二八日から同年一一月一四日までの間、前後七回にわたり、北祥産業及び北東開発の両社が金融機関である株式会社富津総合開発ほか三社から借入れによる融資を受けた際、北祥産業及び北東開発の両社が多額の債務を抱えていて返済能力がなく、かつ、金融機関や東京佐川急便に対し何らの担保も供されていないことから、東京佐川急便において両社の債務を保証すれば、早晩その保証債務の履行を求められる状況にあるのを熟知しながら、何らの担保もとらず、被告人及びCにおいて、確実に従前の保証債務を消滅させるためにのみ使用するなどの使途についての厳格な制限や、そのために必要となる特段の措置等を講ずることなく、いずれもそのころ、東京都江東区新砂<番地略>所在の東京佐川急便本社において、被告人において、表Ⅱ(一)の番号1、2、5ないし7については、債務者を振出人とする約束手形に券面保証し、その余については(表Ⅱ(一)の番号7については合わせて)、連帯保証人として東京佐川急便代表取締役C名義の記名押印をした必要書類を作成した上、借入れに際して、これらを北祥産業、北東開発の社員を介して前記金融機関の担当者に交付するなどして、北祥産業又は北東開発の株式会社富津総合開発ほか三社に対する総額一二二億円の借入れ債務につきそれぞれ連帯保証し、東京佐川急便に同額の損害を与えた。

(二) 表Ⅱ(二)記載のとおり、平成二年九月二八日及び同年一〇月二二日の前後二回にわたり、前記東京佐川急便本社において、北東開発に対し、同会社が多額の債務を抱えていて返済能力がなく、同会社に貸付けをすればその貸付金の回収が危ぶまれる状態にあることを熟知しながら、被告人及びCにおいて、何ら担保を差し入れさせることもなく、東京佐川急便の損害を拡大させることにならないような使途に限るなどの使途についての厳格な制限や、そのために必要となる特段の措置等を講ずることもないまま、北東開発のために東京佐川急便が芙蓉総合リースから借り入れた合計三五億円をそのまま貸し付けることとし、利息天引きにより受け取った金額合計三一億五二九二万八七六九円を、被告人において、東京佐川急便の社員を介して当時の協和埼玉銀行赤坂支店の北東開発の普通預金口座に振込送金して、それぞれ貸し付け、東京佐川急便に合計三五億円の損害を与えた。

表Ⅱ(一)

番号

借入れ及び保証年月日

(平成・年・月・日)

債務者・被保証人

債権者

主債務額

連帯保証額

1

二・五・二八

北祥産業

株式会社富津総合開発

二〇億円

2

二・七・一〇

右同

右同

一〇億円

3

二・八・六

北東開発

芙蓉総合リース株式会社

二二億円

4

二・九・五

右同

アポロ不動産株式会社

二〇億円

5

二・九・一八

右同

株式会社富津総合開発

一〇億円

6

二・一〇・二

右同

右同

一〇億円

7

二・一一・一四

右同

東京ファクター株式会社

三〇億円

主債務額・債務保証額合計一二二億円

表Ⅱ(二)

番号

貸付年月日

(平成・年・月・日)

貸付金額

(北東開発への送金額)

1

二・九・二八

五億円

(四億五二三六万九八六四円)

2

二・一〇・二二

三〇億円

(二七億〇〇五五万八九〇五円)

貸付額合計三五億円

(証拠)<省略>

(補足説明)

Ⅰ  市原観光開発事件、リバスター音産事件についての主な争点に対する判断

第一  前記関係各証拠により認められる事情

一 昭和六三年一二月三一日までの東京佐川急便における株取引の実態

1 Bが株取引を担当して以降の東京佐川急便の株取引の収益状況

Bが東京佐川急便の株取引を担当するようになったのは、東京佐川急便の経理課長に就任した昭和五九年初めころからである。また、東京佐川急便における株取引は、金融機関からの借入金を原資として行っていたが、当初その額は三〇ないし四〇億円にとどまっていた。昭和五九年一二月三一日現在の東京佐川急便の保有する有価証券の取得価格は約五七億円(前年末約四一億円)で、株取引により同年度は若干の売却益が出た。

昭和六〇年に入り、Bは、株取引を拡大することを上申し、被告人もこれを了承して、その原資を八〇ないし九〇億円に拡大して、証券会社員などの勧めをもとに、当時仕手株とされ値上がりが期待されていた大阪建物や太平工業、カロリナ等の銘柄を中心に運用したが、結局同年末現在の有価証券の取得価格は約八〇億九三〇〇万円で、株取引により同年度は約五五〇〇万円の売却損を出し、売れないで保有する株につき約七億円の評価損を出し、他に借入金の金利相当分の損失を生ずるという結果になった。

そのころ、Bは、仕手株の情報に詳しい三田証券の歩合外務員と知り合って、主として同人からの情報をもとにまた他の証券会社外務員の勧めにより、ニチモウ、金門製作所、エステー化学、新家工業、三菱鉛筆、セーラー万年筆など発行株式総数が少ないいわゆる小型株や中型株などの銘柄につき、東京佐川急便が仕手筋の一翼を担って大量に買い付け、その値を吊り上げて高値で売却することにより差益を得るという取引方法を取るようになり、C、被告人らの承認の下にB自身がこれを担当し、投入資金も急速に拡大していった。しかし、一部については利益を上げたものの、売り抜けに失敗して値下がりしそのまま保有せざるを得ないものが急増する結果となった。昭和六一年から同六三年までの各年末における取引状況は、おおむね次のとおりである。

① 昭和六一年末では、保有する有価証券の取得価格は約一六三億円で、約六億円の売却益(ただし、リバスター音産との金門製作所株一四〇万株の相対取引による益出し分約五億円を除く。)が出ているが、他方では約一五億円の評価損を出している。

② 昭和六二年末では、保有する有価証券の取得価格は約三一八億円で、約一九億円の売却益(ただし、リバスター音産とのニチモウ株一五〇万株の相対取引による益出し分約二四億円を除く。)が出ているが、他方で約五六億円の評価損を出している。

③ 昭和六三年末では、保有する有価証券の取得価格は約五〇〇億円で、決算書類上は約四一億円の売却益が計上されている(ただし、うち約一二億円の売却益を出したニチアス株については、信用取引を利用した一〇〇万株の買いによる益出しを含む。なお、一三億円の売却益を出した東亜紡織株については、他方で特別金銭信託上は約一〇億円の評価損が出ている。)が、実際にはおおむね約三〇億余円の売却益にとどまるのに対し、他方評価損は約一一〇億円もの莫大な額に上った。

このように、東京佐川急便における株取引は、決算上は昭和六〇年を除いては利益が出ていて、決算書類には益出し分を含めた金額を記載して清和商事に報告し、表面上は順調であるかのように装っていたものの、リバスター音産との相対取引や信用取引を利用しての益出し分を除くと、現実に売却した分に限っても、借入金の金利に見合う程度の利益しか得られず、場合によっては若干の赤字であり、実質的には利益が出ていたとはいえない状態であったばかりか、売れ残って保有している株について相当大きな評価損が出ていたから、それが仮に時価で売却できたとしても、昭和六三年末には少なくともその評価損分の損失が生じていたことになる。なお、同年末現在、有価証券の科目以外に特金や信用による株取引で少なくとも約三〇億円程度の評価損が発生していた。

そして、被告人らは、このような東京佐川急便等における株取引の実情の概要を認識していながら、株取引による損失が生じていることはもちろん、株取引を大掛かりに行っている事実さえも、清和商事側に知られないように秘匿していたことが認められる。前記リバスター音産との相対取引による益出しや、清和商事に送付する試算表中の数値の圧縮記載の事実からもこれを窺うことができる。

2 昭和六三年一二月三一日現在、東京佐川急便が保有していた株のうち、Bが担当していた株の概要

(一) 昭和六三年一二月三一日現在、東京佐川急便が保有していた有価証券(銀行株等の長期保有を目的としていたもの及び特金によるものを除く。)の取得価格は約五〇〇億円で、特金により保有していた株の取得価格は約二五〇億円であった。外に、信用取引によるニチアス株一〇〇万株の買いが手数料を含まない金額で二四億円あった。

Bが担当していたのは、右取得価格約五〇〇億円の有価証券のうちの約三二〇億余円(全部で一六の銘柄のみに集中している。)並びに特金及び信用取引(ニチアス株)の全部であり、特金等を除いた評価損だけでも約九二億円にも達していた。なお、残りの取得価格約一八〇億円分はE経理課係長が担当して運用していたもので、銘柄数は六〇を超えて広く分散されており、仕手的な取引は特にないものと認められるが、保有している株の評価損は売れ残った分も含めて約一九億円であった。

当時株式市況が良好であったにもかかわらず、特にBの株取引につきこのような惨たんたる結果になったのは、主として、昭和六一年以来、東京佐川急便が仕手筋の一部となるなどして大量の資金を投じて買い進んだ小型株を中心とする銘柄の売り抜けに失敗したことが重なり、値下がりしたまま保有を続けざるを得なくなったものが著しく増加した上、これらの証券取引所における取引量が極めて少なく、安値ですら売却が容易ではないものが多いことによるものであり、仕手的取引の結果に起因する部分が大きいが、これを除く取引部分についても、金利分を差し引くと、少なくともさほど収益を上げていなかったことが窺われるのである。

それと同時に、Bのみならず被告人やCも、これにより少なくとも投機的株取引の持つ危険性を、身をもって知らされたはずである。

(二) 昭和六三年末現在におけるBが担当した東京佐川急便の保有株の状況

Bが担当して購入した株のうち、主なものの概要は、次のとおりである。

①金門製作所株

保有株数約三九四万株、取得価格約一〇三億円、評価損約五一億円(外に、リバスター音産で約三五万株保有、評価損は約四億円)、発行済株式総数三一五〇万株(小型株)

②オリエンタル酵母工業株

保有株数約一一九万株、取得価格約二七億円、評価損約五億七〇〇〇万円(外に、特金で約一七万株保有、評価損約七〇〇〇万円、リバスター音産で六六万株保有、評価損約二億九〇〇〇万円)

③東亜紡織(トーア紡)株

保有株数約一〇万株、取得価格約一億六〇〇〇万円、評価損約四〇〇万円(外に、特金で約二〇〇万株保有、評価損約一〇億一〇〇〇万円、リバスター音産で六万株保有、評価損約九〇〇万円)

④大阪曹達(ダイソー)株

保有株数約一五〇万株、取得価格約三三億円、評価損約九億八〇〇〇万円、発行済株式総数八〇六六万株(中型株)

⑤エステー化学株

保有株数約六六万株、取得価格約二一億円、評価損約六億八〇〇〇万円、発行済株式総数約二八〇〇万株(小型株)

⑥中国工業株

保有株数約九五万株、取得価格約一三億円、評価損約五億九〇〇〇万円、発行済株式総数三四二〇万株(小型株)

⑦桐生機械株

保有株数約五一万九〇〇〇株、取得価格約八億一〇〇〇万円、評価損約四億四〇〇〇万円

⑧横尾製作所(ヨコオ)株

保有株数約四六万株、取得価格約一六億円、評価損約六億二〇〇〇万円

⑨新家工業株

保有株数約八一万株、取得価格約一四億円、評価損約六億八〇〇〇万円、発行済株式総数約五五〇〇万株(小型株)

⑩三菱鉛筆株

保有株数二〇万株、取得価格約四億八〇〇〇万円、評価益約二〇〇〇万円(外に、特金で約一八〇万株保有、評価損約一六億円、リバスター音産で五四万株保有、評価損約三億八〇〇〇万円)、発行済株式総数約三二〇〇万株(小型株)

⑪セーラー万年筆株

保有株数約二五〇万株、取得価格約三二億円、評価益約七〇〇万円(外に、特金で約九〇万株保有、評価損約二億円、リバスター音産で二〇万株保有、評価損約四〇〇〇万円)

⑫ニチモウ株

保有株数一〇〇万株、取得価格約二五億円、評価益約三億二〇〇〇万円(外に、特金で一〇〇万株保有、評価損約二億九〇〇〇万円、リバスター音産で一九〇万株保有、評価損約一〇億円)

右のほか四銘柄がある。

3 Bが担当した東京佐川急便における株取引の問題点

(一) 裏金作りに利用されていた件について

昭和六三年二月初めころ、被告人は、Bに対し、二億五〇〇〇万円程度の裏金が必要なので、株取引で捻出できないかと話し、オムネスの社長ら合計八名の名義を使用するよう指示した。当時東京佐川急便ではエステー化学株を買い進んでいたことから、Bは、被告人の意を受けて、同月一〇日から一二日にかけ、右八名の名義でエステー化学株合計二五万株を五五二〇円から五六五〇円でエクサインターナショナル等の証券金融会社からの融資金を原資に購入しておき、これを同月一七日から一九日にかけて、東京佐川急便で高値の六五〇〇円から六六二〇円で合計三七万二〇〇〇株を注文して購入し、他方で右八名名義で購入した同株二五万株全部を六五四〇円から六六二〇円で売却して、二億七八〇〇万円余りの差益を作り、これを被告人に渡して裏金を作った。このように、出来高の少ない小型株を利用して、高値で買い注文を出すことにより、裏金を作ることが可能になることが、右事実から明らかである。

(二) 安値売却と高値引取りにより第三者に利益を生じさせたか、裏金を作るのに利用したことが窺われる件

(1) 東京佐川急便は、昭和六一年九月一日の受渡しで、三田証券の媒介により、市場を通すことなく、ニチモウ株を時価よりはるかに安い単価八一〇円で一〇〇万株売却しながら、他方で、単価八四七円から九一九円で合計二七万四〇〇〇株を、同月二日受渡しで単価八六九円から八八〇円で合計一万株をそれぞれ購入して、高値引取りをしていることが窺われる。なお、四取引日前の同年八月二八日から同月三〇日までの株価は八七四円から九一〇円、同年九月一日の株価は八八六円から九二〇円であった。また、同月二六日の受渡しで、やはり三田証券の媒介により、ニチモウ株を時価よりはるかに安い単価一〇〇〇円で五〇万株売却しながら、同日受渡しで単価一〇六〇円から一二〇〇円で合計二一万一〇〇〇株購入している。なお、四取引日前の同月二二日から二五日までの株価は一一二〇円から一二五〇円、同月二六日の株価は一〇八〇円から一一五〇円であった。

(2) 東京佐川急便は、ニチモウ株につき、一方で、市場を通して、昭和六二年六月九日受渡しで五五万株を時価の一二〇〇円で売却していながら、他方で、いずれも三田証券の媒介により、市場を通すことなく、同月八日受渡しで時価よりはるかに安い単価八二〇円で五〇万株を、翌九日の受渡しで同じく時価よりはるかに安い単価九〇〇円で五五万株を、同月一一日受渡しで同じく時価よりはるかに安い単価一二〇〇円で八〇万株を、それぞれ売却している。なお、市場の価格は、同月八日の四取引日前である同月四日から六日までは一〇八〇円から一四三〇円、八日が一三四〇円から一五二〇円、九日が一三六〇円から一四七〇円、一〇日が一四一〇円から一六一〇円、一一日が一五一〇円から一六四〇円と急上昇している。そして、その後同年一〇月六日までの間、ニチモウ株を、差し引きで二四〇万株以上時価で購入している。

このように、時価で売却できるにもかかわらず、市場を通さず、ことさらな安値で売却したものを高値で買い戻すことにより、裏金を作ったり第三者に利益を保有させることが可能になる。

(三) 被告人らの個人名義による株取引

もっとも、Bは、東京佐川急便の株取引を担当するようになって以降、本人名義の外に家族や知人の名義を利用して、金門製作所、オリエンタル酵母工業、東亜紡織、三菱鉛筆、ニチモウ等の東京佐川急便が大量に購入した株を中心に個人でも株取引を行い、これらの銘柄に関しては東京佐川急便では前記のとおり多額の評価損を計上しているにもかかわらず、昭和六〇年には約一五〇〇万円、昭和六一年には約八二〇〇万円、昭和六二年には約一億七〇〇〇万円もの利益を上げていたことも認められる。そして、株取引による利益を申告していなかったため、右各年度の株取引による取得について、重加算税、地方税を含めて、合計約二億六五〇〇万円の課税処分を受けた。ただし、その一部については東京佐川急便の所得とされ、修正申告された事実もある。

また、被告人も、Bから現に東京佐川急便が手掛けている株の銘柄を聞いたうえ、その銘柄に投資して利益を上げたこともあったと認められる。

しかし、被告人やBにおいて個人的利得を図ることは一部付随的に行われていたに過ぎないと認められ、このことが投機的取引の動機であったと見ることは到底できないし、そのような立証もない。

(四) このように、株取引、殊に仕手株のような投機的株取引が、本来の投資目的のほかに、裏金作り等に利用されていた疑いがあり、それがどの程度行われていたかについての立証はなされていないものの、莫大な損害が生じていながら、そのまま取引を継続させていたことについては、証拠上は明らかでない他の何らかの事情があったことが十分に考えられるところである。そして、そもそも莫大な損害が生じたことについても、Bの取引の仕方や能力が十分でなかったことがその主たる原因とは必ずしも考え難いふしがある。なぜなら、もしそのような原因によるものであるならば、経営者としては株取引の担当者を更迭するなどの適切な措置を採るのが当然であるのに、何らそのような措置は採られていないばかりか、その後のBの処遇や振る舞いなどに照らすと、むしろ別の事情があったためにそのような措置は採れなかったのではないかと疑う余地があるからである。また、莫大な損失を生じているのに規模をますます拡大していったことについては、大きな損失を取り戻すには更に大きな資金を投入せざるを得なかったためであると、単純に考えることも不可能ではないが、そうだとしたら、被告人らとBとの間に、損失発生の原因についてもっと詳細な検討が行われていたはずであるのに、そのような形跡も希薄である。損害発生が続くのに、いわば任せ切りにしていたように見えることからして、株取引を継続したことについては、他に証拠上明確になっていない何らかの原因があったものと考える余地がある。

二 昭和六三年一二月三一日までのリバスター音産における株取引の実態

リバスター音産における株取引は、本業部門とは別に、昭和六〇年二月ころから、Bを担当者として、主として東京佐川急便からの貸付金を原資として行われてきた。

当初は本業部門の損失補填のために行われ、昭和六〇年九月現在の保有有価証券の帳簿価格は二億円台で、約六九〇〇万円の売却益が出た。しかし、その後は、東京佐川急便の株取引の一翼を担うものとして行われるようになり、昭和六一年九月現在では、保有有価証券の帳簿価格は約三億五二〇〇万円で、売却益が約七二〇〇万円であるのに対し、約八四〇〇万円の評価損を計上し、昭和六二年九月現在では、帳簿価格は約五億三八〇〇万円で、売却益が一億八五〇〇万円であるのに対し、約一二〇〇万円の評価損を計上していたが、昭和六三年九月現在になると、帳簿価格が約一五三億七九〇〇万円と急増し、売却益が約七億五〇〇〇万円であるのに対し、約三〇億円の評価損を計上するに至っていた。

そして、昭和六三年一二月三一日現在のリバスター音産の保有する株の評価損は約三三億四三〇〇万円に達し、しかもその保有する株式は、東京佐川急便が大量に保有していたものと同じ銘柄で売却が困難なものがほとんどであった。すなわち、ニチモウ株、金門製作所株、オリエンタル酵母工業株、東亜紡織株、大阪曹達株、エステー化学株、横尾製作所株、三菱鉛筆株、セーラー万年筆株などがほとんどを占めていた。

三 清和商事に対する隠蔽工作と株取引禁止令が出された事情

東京佐川急便では、毎月貸借対照表を作成し、これと同内容のものを「試算表(月次貸借対照表)」(以下「試算表」という。)として、当該月からほぼ二か月遅れて清和商事に送付していた。ところが、有価証券の残高及びこれに対応する借入金も膨らんできたことから、昭和六三年四月ころ、Bは、被告人の了承を得て、東京佐川急便の経理課係員であったIに借入金を圧縮し、これに見合う有価証券等も圧縮して試算表を作成するように指示した。その結果、同年四月、五月、七月ないし一一月の試算表は、資産の部では有価証券、その他預金(特金が含まれている科目)、貸付金、普通預金、通知預金、定期預金の科目から、これに対応して負債の部では短期借入金、長期借入金、仮受金の科目から、少ない月で約一四〇億円、多い月で約五四四億円も数字を圧縮して、清和商事に送付された。なお、同年六月、一二月は中間決算、本決算期のため、決算書を送付する関係で、数字の圧縮は行わなかった。また、実質的には株取引を行っている特金については、有価証券の科目にではなくその他の預金の科目に計上していた。

また、昭和六三年九月二〇日の決算期の時点でリバスター音産の保有する株は、帳簿残高で約一五三億円存在した。そのころ、Bは、被告人の了承を得て、Iに決算書から借入金と有価証券を一五〇億円圧縮するように指示した。その結果、リバスター音産に関して借入金及び有価証券の残高を約一五〇億円圧縮した決算書が作成され(その結果、投資有価証券の価格はわずかに三億七八六七万八一九二円と記載された。)、清和商事にも同内容の決算書が送付された。

さらに、清和商事による調査の際、Bをはじめとする東京佐川急便関係者は、東京佐川急便では特金においても株取引を行っていることを明らかにしなかった。これらは、いずれも株取引又はこれにより生じた損失等について、清和商事に発覚しないようにするためであったと認められる。

そのような状況の中で、東京佐川急便が大量の資金を投入していわゆる仕手筋となって投機的な株取引を行っているとの記事が関連業界紙に掲載され、「S急便株」などと称されるようになったが、そのことは清和商事の方にもおのずと伝わり、清和商事側では、東京佐川急便が内密にこれらの取引を行い、損害を生じたり不正を行っているのではないかとの疑いを抱き、平成元年一月一四日、前記のとおり、株取引禁止令が出されたものである。

Cは、株取引禁止令が出されたころ、 Dの自宅で株取引禁止令を伝えられ、その場で株取引禁止令を了承した。さらにその直後、被告人は、清和商事の常務取締役であるJに呼び出されて清和商事本社に赴き、Jから、株取引禁止令が出されたことを伝えられ、現在保有している株は速やかに売却するように指示された。被告人は、売却のための時間が欲しい旨は話したものの、その場で株取引禁止令を了承した。

平成元年一月一九日から二一日にかけて、Jの指示を受けて、佐川急便グループ各社の経理の監督・調査等を行っている清和商事経理管理室の室員であるKが東京佐川急便に出向き、東京佐川急便における昭和六一年から昭和六三年までの銘柄毎の株取引の売却損益、昭和六三年一二月三一日現在の銘柄毎の株保有高、評価損益等について調査を行い、その結果を一覧表にした上で、三年間の売却益が約九六億円、昭和六三年一二月三一日現在の評価損が約一一四億円である旨Jに報告した。なお、Kは、東京佐川急便では特金でも株取引を行っていることには気付かなかった。

四 市原観光開発で株取引を行うに至った経緯

平成元年一月下旬ないし二月上旬ころ、東京佐川急便本社において、Bは、被告人に対し、東京佐川急便の保有している売却が困難な株(以下「しこり株」ということもある。)につき、別会社でそのうち約二〇〇億円分を引き取って、時期を見て売却していく、しかし、そのままでは売却損が発生するので、ほかに二〇〇億円の資金付けをして新たに株取引を行いその利益で右売却損を埋める、さらに、リバスター音産に発生している売却損及び評価損を埋めるために別に一〇〇億円を運用したい、その資金は東京佐川急便の保証で金融機関から借り入れたい旨提案した。被告人は、この提案を了承し、その別会社としてゴルフ場開発事業が行き詰まっている市原観光開発を利用することとした。そして、市原観光開発が東京佐川急便の保証で金融機関から五〇〇億円を借り受け、うち二〇〇億円で東京佐川急便からしこり株を引き取り、残り三〇〇億円で新たに株取引を行うが、そのうち二〇〇億円を運用して得られた利益は、市原観光開発に生じる引き取ったしこり株の売却損や金利等の経費に充当し、残り一〇〇億円の運用利益はリバスター音産に帰属させることとした。

しかし、金融機関からの融資は、結局四〇〇億円に止まったので、市原観光開発が東京佐川急便からしこり株を引き取る二〇〇億円(当初は引き取る予定であった金門製作所株を引き取らず、最終的には約一五〇億円程度に止まった。)を除いた残りの二〇〇億円のうちの一〇〇億円を、リバスター音産での株取引により生じた損失の補填に当てるために運用することとした。そして、市原観光開発での株取引による利益をリバスター音産に付けるために、市原観光開発とリバスター音産との間で匿名組合契約を締結することにした(しかし、結局市原観光開発における株取引が利益を上げることができなかったたために、後に解消されることになった)。

五 市原観光開発が東京佐川急便から引き取った株

相対取引あるいは市場における取引により東京佐川急便から市原観光開発に株が移転したのは次のとおりである(なお、記載されている株取引の日は特に断らない限りいずれも受渡し日である。また、特に断らない限り市場を通じての購入である。)が、いずれもBが東京佐川急便で担当していた株である。なお、これらを売却して市原観光開発に生じた損失は合計約二一億円であった。

①オリエンタル酵母工業株

平成元年二月二八日、オリエンタル酵母工業株一六万株を二億四八七〇万八五〇〇円で引き取り、また、同年五月二六日、五〇万株を合計金額一一億七五〇〇万円で引き取っているが、後者については取引日の市場価格よりも明らかに高い単価(二三五〇円)で、市場外でのクロス取引により引き取ったもので市場価格よりも少なくとも五〇〇〇万円以上高い金額で購入しており、その分東京佐川急便の損失を少なく見せていることになる。

②エステー化学株

平成元年二月二八日、エステー化学株三五万株を七億九九八〇万八五〇〇円で購入。

③横尾製作所株

平成元年二月二八日、横尾製作所株五万株を九二八九万三七五〇円で購入。

④三菱鉛筆株

平成元年二月二八日、三菱鉛筆株三〇万株を七億九六八〇万二五〇〇円で購入。

同年三月三日、三菱鉛筆株一九万八〇〇〇株を四億九六二〇万二五〇〇円で購入。

同年四月一二日、三菱鉛筆株一万五〇〇〇株を四二一一万二五四七円で購入しているうちの一万三〇〇〇株(三六四九万七五四〇円七三銭)。

同月一四日、三菱鉛筆株七八万九〇〇〇株を二二億〇五四四万四八九八円で購入。

なお、右七八万九〇〇〇株については、取引日の市場価格よりも明らかに高い単価(二七九〇円)で市場外でのクロス取引により引き取ったもので、市場価格よりも少なくとも一億四〇〇〇万円以上高い金額で購入しており、その分東京佐川急便の損失を少なく見せていることになる。

⑤セーラー万年筆株

平成元年二月二八日、セーラー万年筆株一〇〇万株を一二億二二五四万二五〇〇円で購入。

同年四月二六日、セーラー万年筆株一五〇万株を二〇億一三八三万九三二五円で購入。

なお、右一五〇万株については、取引日の市場価格よりも明らかに高い単価(一三四〇円)で、市場外でのクロス取引により引き取ったもので市場価格よりも少なくとも一億八〇〇〇万円以上高い金額で購入しており、その分東京佐川急便の損失を少なく見せていることになる。

⑥東亜紡織株

平成元年二月二八日、東亜紡織株二〇万株を二億九〇七九万二五〇〇円で購入。

同年四月五日、東亜紡織株二万三〇〇〇株を四一五〇万九七五六円で購入。

⑦ニチモウ株

平成元年三月二四日、ニチモウ株一〇〇万株を三〇億一〇〇〇万円(単価三〇一〇円)で相対取引で引き取っているが、取引日の市場価格よりも明らかに高い単価(三〇一〇円)で、市場価格よりも少なくとも四億円以上高い金額で購入しており、その分東京佐川急便の損失を少なく見せていることになる。

ところで、同月九日の株価は二三九〇円から二四〇〇円で、翌取引日及び翌々取引日である同月一〇日、同月一三日には取引がなかった。そして、その翌取引日である同月一四日から同月一七日までの四取引日において、市原観光開発は当日の出来高の全部(二取引日)あるいはその大部分を購入して買い進んだ結果、同月一七日の株価は二六五〇円から二七八〇円まで上がった。市原観光開発が同月一四日から買い進まなければ、ニチモウ株の株価は二四〇〇円前後に止まったことが予想されるから、市原観光開発は本来の市場価格よりも合計で少なくとも六億円も高い金額で購入しており、その分東京佐川急便の損失を少なく見せていることになる。

そして、右高値での購入により、ニチモウ株一〇〇万株の売却では、東京佐川急便は本来であれば収支差引零ないし売却損が発生するところであったのに、四億六四七七万円の売却益を計上することとなった。

また、ニチモウ株を相対取引したことにより作成しなければならない有価証券引取書には、被告人の指示で売却先を市原観光開発でなく、北祥産業株式会社と記載して、市原観光開発の名が表に出ないようにした。

⑧ ニチアス株、東京計器(トキメック)株、テイサン株

なお、ニチアス株一七万株を平成元年二月一三日、東京計器(トキメック)株三万七〇〇〇株を同日引き取り、テイサン株合計七九万六〇〇〇株を翌二月一四日から一六日にかけて引き取っており、これらの引取りに約二一億円が当てられているが、これらは、市原観光開発における新たな取引としていずれも当初から値上がりを見込んで大量に購入する過程で引き取る形になったに過ぎないもので、いわゆるしこり株の引取りとは性質を異にし、むしろ新たな株取引の一部と見ることができるものである。

なお、金門製作所株については、これを引き取ると新たな株取引のために運用できる資金が不足するのと、東京佐川急便に売却による高額の実現損が生ずるのは好ましくないとの考慮によって見送られ、その結果、東京佐川急便にそのまま残されることになった。

六 株取引禁止令後に清和商事の採った措置について

1 Jは、Fの指示を受けて、平成元年三月三日、清和商事にBを呼び、改めて、東京佐川急便が保有している株を売却するように指示した。Bは、売却のための時間が欲しい旨を述べたが、Jは、三月末をめどに売却するように指示した。

2 平成元年五月二二日から二四日にかけて、Jの指示を受けたKが東京佐川急便において、株取引禁止令後の東京佐川急便における株売却状況等の調査を行った。その結果、同月二〇日現在で東京佐川急便の保有している有価証券は、銀行株等の長期保有を目的としていた有価証券(帳簿価格約四三億五六〇〇万円)、公社債、受益証券をも含めて、帳簿価格で約三八六億六九〇〇万円であり、平成元年における売却損が約二六億八四〇〇万円、投資有価証券の評価益約五八億一二〇〇万円を含めての評価損が約一九億八八〇〇万円である旨の書面が作成されて、Jに報告された。なお、右のように多額の有価証券が売却されずに残っていることについて、Bは、「運用株式売却の件」と題する弁明の書面をKに提出している。

3 その後、平成元年六月一九日から二四日にかけて、清和商事に依頼された税理士及び清和商事経理管理室員により東京佐川急便に対する経理監査が行われ、その結果、同月二〇日現在で東京佐川急便が保有する有価証券の残高は、約三二四億五四〇〇万円であることが判明している。さらに、東京佐川急便の平成元年度の決算書には、有価証券の科目に約二〇九億〇六〇〇万円が記載されている。しかし、前記五月のKの調査を最後に清和商事側から東京佐川急便の保有株式に対する売却指示、調査その他の働きかけは特になされていない。

七 市原観光開発における株取引の概要

1 市原観光開発における株取引の収益状況

市原観光開発の株取引は、Bを担当者として、平成元年二月八日(受渡し日同月一三日)から始まった。その原資としては、月中枠を利用しての東京佐川急便からの貸付金もあったが、主たるものは東京佐川急便の保証による金融機関からの借入金であった。

平成元年三月三一日の決算期では、株取引による売却益として一億五八七八万七八三七円を計上した。しかし、同日現在の市原観光開発の金融機関からの借入金は三〇〇億円であるのに対し、保有している株の時価は二六七億六一一三万五九四四円で預金その他を合計しても資産は二八六億八三六六万〇〇四六円しかなかった。

平成元年九月三〇日現在では、金融機関からの借入金が四〇〇億円であるのに対し、保有している株の時価は二二七億〇二六七万五〇〇〇円で預金その他を合計しても資産は三三〇億七八八二万九二五三円しかなかった。

平成二年三月三一日の決算期では、株取引による売却損として三七億八〇二一万九三〇一円、信用取引による売却益として九三一〇万〇三九七円を計上した。そして、同日現在の市原観光開発の金融機関からの借入金は四〇〇億円であるのに対し、保有している株の時価は一四九億五八八三万九四〇〇円で預金その他を合計しても資産は二五〇億二四八一万〇八七六円しかなかった。

平成二年九月三〇日現在では、金融機関からの借入金が四〇〇億円であるのに対し、保有している株の時価は九六億〇〇五七万八七八二円で預金その他を合計しても資産は二〇〇億五一三八万三五四七円しかなかった。

平成三年三月三一日の決算期では、株取引による売却損として一三一億一六五七万二〇八二円、信用取引による売却損として七億三七七〇万九一六八円を計上した。そして、同日現在の市原観光開発の金融機関からの借入金は四一八億円であるのに対し、保有している株の時価は八一億二四五八万三六九八円で預金その他を合計しても資産は一一七億〇七〇七万四七〇一円しかなかった。

以上のように、市原観光開発における株取引は、開始直後の平成元年三月三一日の時点で既に債務超過の状態で、約七か月後の平成元年九月三〇日には金融機関からの借入金四〇〇億円に対して約七〇億円も資産を目減りさせており、いわゆるしこり株を引き取り売却することにより生ずる損失がその中に含まれることを考慮しても、当初からうまくいっていなかった。

2 市原観光開発における株取引中留意すべき点―取引の対象とされた株の種類、時期

(一) 市原観光開発は、インターリースからの一〇〇億円の融資が実行される前である平成元年二月一三日(ただし、受渡日)から株の購入を開始したが、同日に購入したのは、テイサン、東京計器(トキメック)、ニチアスの三銘柄であった。そして、テイサンは同月二一日まで約二〇億三七〇〇万円で合計一〇二万株(うち七九万六〇〇〇株は東京佐川急便から)、東京計器は同月二二日まで約一三億四八〇〇万円で合計六六万株(うち三万七〇〇〇株は東京佐川急便から)、ニチアスは同月二三日まで約三五億〇二〇〇万円で合計一六〇万株(うち一七万株は東京佐川急便から)と、いずれも各社の発行済株式総数の約一パーセントから約二パーセントの株を購入した。テイサン、東京計器、ニチアスは、いずれもいわゆる中型株(額面五〇円の場合発行済株式総数が六〇〇〇万株を超え二億株以下のもの)ではあるが、昭和六三年の後半から平成元年一月ころにかけて急激に値を上げ、業界紙にニチアスについては「仕手筋介入のうわさ」、テイサンについては「仕手人気の様相に」などと記載されるなど、当時はいずれも仕手的様相を帯びており、投機色の極めて強い株であった。そうすると、市原観光開発で真っ先に行われた株取引は、大型株のみを慎重に購入していたとはいえず、むしろ、短期間に、合計六九億八七〇〇万円もの大量の資金を投入して、比較的発行済株式総数の少ない中型株を、その発行済株式総数の約一ないし二パーセントに達するまで大量に購入したものであって、小型株が中型株に代わっているものの、投入した金額も東京佐川急便における仕手的株取引と比較しても決して少額とはいえず、従来、東京佐川急便で行っていた投機色の強い仕手的な取引形態に極めて類似したものといえる。そして、結果として、いずれも高値づかみをした形になって、後に莫大な損害を発生させている。

なお、市原観光開発が購入した右テイサン株など三銘柄については、東京佐川急便が売却した株も一部含まれているが、結果として引き取る形になっただけで、それらも新たな株取引の一部とみることができるものであることは前記のとおりである。

(二) ところで、平成元年三月初めころまでの市原観光開発が購入していた株は、前記テイサン、東京計器、ニチアスの三銘柄及び東京佐川急便から引き取ったしこり株を除くと大型株が中心であった。

しかし、数日という短期間、極端な場合には一日のうちに、新日鐵株を約四一億〇三〇〇万円で四二〇万株、佐藤工業株を約一八億七二〇〇万円で七五万株、荏原製作所株を約一七億二七〇〇万円で九〇万株、三菱油化株を約一四億五一〇〇万円で九〇万株、東芝株を約一三億二三〇〇万円で一一〇万株、三菱重工業株を約一一億九四〇〇万円で一〇〇万株、東京海上火災株を約九億六二〇〇万円で四〇万株購入し、それ以外の銘柄でも億単位で数十万株購入するなど、大型株ではあっても、短期間に極めて大量の資金を投入して大量の株を集中的に購入する形態の取引がほとんどであり、特に新日鐵株は、投入した資金総額、購入株数共に、東京佐川急便が従前仕手的取引をして莫大な損害を負うに至った銘柄への投入資金、株数に匹敵する莫大なものであったことに留意すべきである。

大量の資金を投入して大量の株を購入した場合には、仮に株価がわずかに値下りしても損害は莫大なものになるのであって、少額の場合と比べて危険性が格段に高くなることは明らかである。また、右のような購入形態からすると、Bは急激な値動きを期待して短期間に多額の差益を得る目的で右各株を購入していたと認められるところ、このような形態の株取引において利益を上げるには、大型株、小型株を問わず、高値の段階で購入してしまう高値づかみをせずに、しかも購入価格よりも高値の段階で売り切るために、急激に変化するであろう個々の株価の推移について、的確かつ高度な判断が要求されるのであり、そのような判断を誤ると莫大な損害が発生する危険の高いものである。そして、大型株、小型株を問わず、大量の資金を投入して大量の株を購入することに右のような危険性があり、的確な判断が極めて困難なものであることは、東京佐川急便における苦い経験からして、Bはもとより、被告人も認識していたことは明らかである。現に、新日鐵株など高値づかみをした形となった銘柄も少なくなかった。

(三) 市原観光開発における株取引については、東京佐川急便から引き取るしこり株を売却した際に生ずる売却損がかなりの金額に上ることが予想されていたばかりか、四〇〇億円という多額の借入金に対する金利負担も莫大であり、これらを上回る利益を上げようとすれば、かなり冒険的な取引への誘惑は避けられないと考えられるし、市原観光開発における株取引は清和商事に隠れて行うものであるから、短期間に利益を上げたい気持ちが強くなり、大きな利益を求めてより一層冒険的な取引への誘惑に駆られるということは充分に考えられることである(例えば、東京製鉄株、三菱金属株、住友不動産株、フジタ工業株などの売買の状況についてはそのような点が窺われる。)。

八 平成元年以降のリバスター音産における株取引

1 平成元年九月二〇日以降リバスター音産で株取引を行うに至った経緯

平成元年におけるリバスター音産の株取引は、株取引禁止令が出されたこともあって、それ以前に保有していた株の売却がほとんどであった。そして、同年九月二〇日期の決算では、保有している株の帳簿価格は約一二七億二三〇〇万円、年度の売却損は約八億〇三〇〇万円、評価損は約四三億七二〇〇万円であり、その決算期末の少し前ころに、右株取引の収益状況の概要が判明した。そこで、そのころ、オムネスの事務所に被告人、B、Iの三人が集まって、リバスター音産の株取引の赤字対策について話し合ったが、その際、被告人は、こんな数字では自分の責任になる、こんな数字を清和商事に送れるわけがないと発言した。そして、決算書は一二月になって清和商事に送られることから、決算書上は赤字でも、決算書が清和商事に送付される時点でその損失が解消されていれば、清和商事も問題にしないであろうということで、東京佐川急便が銀行からの借入月中枠でリバスター音産に資金を貸し付け、月中枠の資金の返済期である一二月末日をめどに、Bの担当で株運用を行い損失を埋めようということになった。そして、資金として手当できるのが一五〇億円程度であり、前記売却損や評価損及び一五〇億円の金利等を考慮して、三〇億円程度の利益を上げようと考え、そのような利益を上げることが可能かどうかを確認するため、Bがその当時株取引に主に関与させていた茜証券の外務員に相談したところ、三か月間で三〇億円程度の利益を得ることは十分可能である旨の回答を受けた。そこで、数日後、再び、オムネスの事務所に被告人、B、Iが集まった際、Bは、一五〇億円を一二月まで運用して三〇億円程度の利益を上げることは可能であると報告し、ここに、被告人、B間に東京佐川急便からリバスター音産に一五〇億円を貸し付けて株取引を行う旨の合意が成立した。しかし、右のような利益発生の見込みは、短期間で取引を全部終了させなければならないことからしても、余りにも楽観的に過ぎるものであった。

2 平成元年九月二一日から同年一二月三一日までのリバスター音産の株取引

前記1記載の経緯で、平成元年九月二一日以降、一五〇億円を原資として、Bがリバスター音産の計算で株取引を開始したが、東京佐川急便の決算期には月中枠による借入金を一旦全額返済しなければならなかったため、同年一二月中にこの取引で購入した全株を売却した。その結果、同年九月二〇日現在で保有していた株(オリエンタル酵母工業株一万株、横尾製作所株六万六〇〇〇株、エステー化学株八万八〇〇〇株)の売却損約七八〇〇万円を含めて、約七億一〇〇〇万円の売却損が生じ、金利も含めると約一三億円の損失となった。また、保有している株の評価損も約四三億二一〇〇万円と同年九月二〇日の決算期と比較して約五一〇〇万円の改善を見ただけであった。

3 平成二年一月以降の株取引

ところで、平成元年一二月二〇日ころ、Bはリバスター音産における一五〇億円を原資とする株取引が目標とした三〇億円程度の利益を上げるどころか、金利込みで約一三億円の損失となったことから、平成二年一月以降も東京佐川急便から一五〇億円を借り入れて、リバスター音産で更に株取引を行い、平成二年九月二〇日の決算期までには平成元年九月二〇日期の分も含めて売却損を解消し、評価損も解消しようと考えた。当時、いわゆる総量規制が行われ、株価も下落傾向を示しており、株取引による利得は従前に比べて困難な状況にあったが、茜証券の外務員はそのような中でも上昇の見込める銘柄として任天堂と住友金属鉱山を挙げていた。そこで、そのころ、Bは、Iを介して被告人に年明けに一五〇億円の貸付けを受けて再度リバスター音産で株取引を行いたい旨を申し入れた。

被告人は、これを了承し、Iに対し、リバスター音産に改めて一五〇億円を貸し付けるように指示した(この一五〇億円が本件の対象とされているものである)。ただ、リバスター音産に対する既存の貸付けのうちの一四億円を東京佐川急便に返還するために、形式上は一五〇億円を貸付けるものの、一四億円については同額の小切手を振り出して直ちに、東京佐川急便に返済することとした。

その結果、前記一五〇億円から一四億円を差し引いた一三六億円を新たな株取引に投入することになったが、うち一〇〇億円については、市原観光開発が日本信販株式会社から借り入れることになった一〇〇億円の担保に充てるため、東洋信託銀行に市原観光開発の名義で一〇〇億円の特定金銭信託を設定し、日本信販のために質権を設定することとした。しかし、そこで行われる株取引は、リバスター音産の計算で行うこととした。また、残りの三六億円については、茜証券に預けて株取引を行うこととした。

Bは、平成二年から行う株取引については、平成元年一二月中に、右外務員から任天堂と住友金属鉱山を勧められたことから、従前の苦い経験にもかかわらず、特金では住友金属鉱山株三三七万株を約七六億円、住友金属鉱山株のワラント債を約一五億円、合計約九一億円、茜証券においても住友金属鉱山株一六〇万株を約三八億円と、ほぼ一本に絞って買い進めた。しかし、住友金属鉱山株は案に相違して株価を下げてしまい、同年三月三一日現在で、特金でその他の有価証券と併せて約四二億円の評価損を出し、茜証券の株取引でも約五億円の売却損と約五〇億円の評価損を出すに至った。

そして、同年九月二〇日期の決算においては、約三三億円の売却損を出し、保有有価証券の取得価格約二一一億五〇〇〇万円に対して、評価損も約五五億円となるなど、平成二年における株取引は完全な失敗に終わった。

同年九月二〇日期の決算に際して、被告人は、この損失及び株取引の事実の露見を防止するために、Bと相謀り、リバスター音産が平成元年九月二〇日以降に行っていた株取引について、自分が経営しているシーアンドシーが行っていたように装うこととし、そのころ、Iが徹夜をしてリバスター音産及び東京佐川急便の帳簿を書き直した。

第二  争点に対する判断

一 市原観光開発、リバスター音産における株取引の損益の帰属関係

市原観光開発等における株取引の損益が、民事法的にそれぞれの会社に帰属することは否定できず、したがって、本件の犯罪事実も、保証債務の負担ないし貸付けが対象となることは明らかであるが、これらは、東京佐川急便のために行われていたことが明らかである。すなわち、株取引禁止令以前のリバスター音産における取引も、すべて東京佐川急便の力による資金調達のもとに行われていたばかりか、当初はともかく、まもなく東京佐川急便の投機的取引の一部を行うために、いわばリバスター音産の名を借り、これを利用して行っていたものと認められる。このことは、本業部門と株取引部門が明確に区別され、株取引部門の担当者は東京佐川急便におけると同様にBであったことによっても示されている。ところが株取引禁止令が出された後は、東京佐川急便ではもはや株取引を継続できなくなったことから、市原観光開発においてこれを行ったものと認められるし、その資金の調達方法に照らしても、清和商事に気付かれないようにしながら東京佐川急便の窮状を打開するためにやむなく考案され実行に移されたという事情に照らしても、正に東京佐川急便の隠れみのとして市原観光開発が使われていたことは明白であるといわなければならない。

確かに、法的にはその損益は各会社に帰属するが(破産の場合を考えても、その点は明らかである。)、経済的には、市原観光開発においても、リバスター音産においても、そこで行われた株取引による損益は、その資金調達の関係から結局東京佐川急便の損益に帰着する関係にある。すなわち、株取引により発生した損益は、後に保証債務を履行する際に、その債務額が増減する形でそのまま東京佐川急便に帰属するし、市原観光開発で市場価格より高値で引き取り、一時的に東京佐川急便に利益が出たようになっても、いずれその分は保証債務の履行の際これに対応する額の負担をする結果となる関係にある。本件は東京佐川急便の不利益回避を目的にした行為であり、東京佐川急便の計算で行われているものと認められる以上、資産がなく支払い能力がないのに担保などを採らないで保証したり貸付けたりするだけでそれが直ちに背任とされるのではなく、本件犯罪の成否は、そこで行われる株取引自体が損害を発生させることになるものかどうか、その点の認識があるかどうかにかかっていることに、まず留意すべきである。

二  損害発生の認識がなかったとの主張について

1  弁護士は、株取引禁止令中、株式売却命令に反して株を引き取らせる部分については、多額の損害の現実化等の損害発生を回避しようとしたものであり、その意味で東京佐川急便に利益を生ずるものであり、また、新たな株取引を行う点についても、被告人は平成元年一月下旬にBからの報告により東京佐川急便等における株取引において損失を計上していることを知ったが、その株取引が破綻しているとの認識はなく、当時はいわゆるバブル経済の真っ只中にあって、株を買えば必ず儲かるという株神話が生きていた世相で、以後の株取引により損失は十分に挽回可能であると認識していたから、被告人には、損害発生の認識はなかった旨主張する。

2  確かに、いわゆるしこり株を、多量かつ急激に売ることによる値崩れを防ぐために株を疎開させる趣旨で引き取らせるとの部分については、それに必要な額の金利分の損失と、徐々に売って値崩れを抑えることによる利益とのバランスの問題となるのであって、それだけであるならば、本件の諸事情の下では、弁護人主張のとおり、直ちに損害の発生及びその認識があったとはいい難いように思われる。

しかし、新たな株取引をも組み合わせて行う場合や新たな取引のみを行う場合には、事情は異なってくるといわなければならない。本件では、少なくとも二〇〇億円という莫大な資金を投じて新たな取引を行うことにしていたものであり(なお、二〇〇億円が引取り予定分であったが、前記のとおり、その後引取りに使用されたのは一五〇億円前後であり、また、引き取った株を売却して得た資金も新たな株取引に回されるというものであった。)、これにより、更に損害を拡大する危険が大きいことは、Bらのこれまでの東京佐川急便における株取引の経験等にかんがみ、Bのみならず被告人も十分認識していたものと認められる(なお、株式を引き取ることと新たな取引を行うこととは、相互に独立して行うことができるものであるから、損害発生に関しては別々の問題として論ずるのが相当である)。

3  すなわち、東京佐川急便での株取引では、株式市況が良好であったにもかかわらず、利益を上げるどころか、極めて多額の損失を生ずるに至っており、その状態が長期にわたって継続していた事実が認められる。その原因として、それ自体危険な仕手的取引や小型株に重点を置いた取引を行ってきたという事情も大きいといえるが、その点を除外して通常の株取引を見ても、原因こそ明らかではないが、金利等の経費を支払ってなお利益を上げることは容易ではなかったことが認められる。ましてや多額の利益を得ることが困難であることは、被告人らが自らこれまでの間に十分経験しているところであったといわなければならない。株取引に伴う困難さには、大型株、小型株を問わず共通の要素が多く、高値づかみをしないこと、売る時期を間違えないことなどに細心の注意を払わなければ首尾よくいくものではないし、経済界の状況を的確に理解し、社会の実情にもよく通じていることが大切である上、正確で十分な情報を入手する手段を確保し、これに基づき個々の株価の推移についての的確な見通しを立てることが必要である。しかし、Bがそのような投資家として必要かつ十分な能力に恵まれていたとまではいい難く、そのことは、これまでの取引実績等に照らしても、被告人の十分認識していたところであった。

弁護人は、当時は株式市況が良く、株を買えば必ず儲かるという株神話が生きていたから、損害発生の認識を欠くというが、禁止令前も株式市況が良かったのに利益を上げ得なかったのであるし、後記のとおり、禁止令前の危険な取引形態を排除し切れないところがあり、必ずしも市況の良さが損害発生の認識の欠如に結びつかないばかりか、市況はいつ悪化するかもしれないのであって、到底弁護人のようにいうことはできない。

4  Bは、自分自身が株取引に長けていたわけではないので、証券外務員の情報により株取引を行うほかはなかったのであるが、これまで信頼できる者と考えその情報によって取引をした結果、しばしば高値で買い取ることになったり、売る時期を失したりして、多額の損失が継続して生じてきていたのであるから、その点について従前と同様の方法を踏襲する以上、経験上またしても多額の損失を生ずる危険があること自体は、容易に予測できたものといわなければならない。特に証券外務員は特定の顧客の利益のみを図る立場にはなく、もとより証券会社の利益を第一に図る立場にあるのであって、手数料収益を増加させるためにも、取引量を増加させることに力を注ぐこととなりがちであり、他の仕手的取引を行っている者などの利益を図ったり、そのために別の大口の投資者の利益を犠牲にすることがあるということは、いろいろな局面でのこれまでの経験から判っていたものと認められる。被告人も、Bは実績を上げていて信頼できると思っていた特定の証券外務員の指導の下に株取引をやっていたと指摘しているが、これまでもそのようにして取引した結果、仕手株といわれるもの以外でも損失を生じた経験を重ねており、今後投機的な取引を続けるに当たって証券外務員の情報に頼る方法を取り続けていくというだけでは、損害発生の危険についての認識は、当然これまでどおりにあったといわざるを得ない。

5  しかも、今後も投機的な取引を行うことにより利益を得ようとする点は変わりがなく、莫大な借入金を原資として相当多額に上る金利負担の中でこれを行い、更に禁止令の中でひそかにこれを行うことになる関係からも、なるべく短期間に損失の穴埋めを図ろうとしていたことも認められる。したがって、おのずと短期間に多額の利益が生ずるような銘柄を選択し差益を得る方法によらざるを得ないことになりがちで、勢いいわゆる大幅な値動きが期待される人気株などを中心とした銘柄を取引の対象とせざるを得ないことになって、それ自体に伴う危険性も小さくないと認められる。確かに、市原観光開発におけるBの株取引は、従前と異なって、大型株を扱ったものが多く、値が上がれば速やかに売却して小幅でも差益を得ようとする姿勢も見受けられるが、他方、禁止令後市原観光開発で真っ先に購入したものは、いわゆる中型株に属するニチアス、テイサン、東京計器(トキメック)等、投機性が高い株であり、しかもそれらを、発行済株式総数の一ないし二パーセントにも達するほど大量にかつ相当長期間にわたって買い続けている。しかも、そもそも株取引は大型株なら安全ということはないのであって、難易の程度の差はあれ極めて高度な判断を必要とするのである。

6  そして、本件で特に重要なのは、総額において極めて多額の資金を投入し、かつ一銘柄にしばしば億単位、十億単位の大量の資金を投ずるという点であって、仮に損害が発生した場合それが莫大な額になり、少額の場合に比べて株取引の危険性が格段に高まり、会社経営への影響も大きくなることも明らかである。一銘柄に投入する資金が多額になればなるほど取引自体の持つ危険性が大きくなることは、正にそのような過去の経験があったからこそ、被告人らにとってはより一層認識が容易であったはずであり、現に認識していたものといわざるを得ない。ましてや、株取引禁止令すら出され新たな取引を禁止されていたのであるから、そのような状況下であえて投資する場合には、より慎重になるはずであって、特に合理的な理由でもあれば格別、右の危険性について十分な認識があったというべきである。

7  さらに、リバスター音産に関する本件一五〇億円の借入れの際においては、右のうち新たな株取引に関して論じたところに加え、市原観光開発での株取引状況及び平成元年一〇月から一二月にかけてのリバスター音産での一五〇億円の運用状況に照らして、被告人らに右の認識があったことは明らかである。特にリバスター音産の時点(平成元年一二月末)では、その年の秋に一五〇億円を借り受けてリバスター音産で行った株取引が大きな損失を生じて終わっていることから、当時の証券外務員に対する前記のような信頼はもはやなかったはずである。

8  以上によれば、被告人は、本件各犯行当時、損害発生の認識があったと認められる。このことは、Bについても全く同様に当てはまることといわなければならない。結局、以上と同旨の被告人及びBの検察官調書の記載部分は十分信用することができる。そして、株の引き取りに充てられる部分と新たな株取引に充てられる部分との主債務が不可分である以上、保証債務についても全額が損害となるとみるのが相当である。

本件では、Bには長期にわたる苦い経験があり、相変わらず証券外務員に頼る方法を取っており、にもかかわらず、多額の資金を一銘柄に投入するという方法を採るものであって、小型株を避けているという違いは見られるものの、それだけでは多額の資金を投じた投機的株取引に伴う強い危険性をBが認識していなかったとは到底考えられない。したがって、弁護人の主張は理由がない。

三 任務違背及び図利目的について

弁護人は、株取引禁止令は不合理な内容のものであり、被告人はそのような命令に従って保有株を売却した場合に生ずる損失の現実化や拡大を防止して会社の利益を図るために本件各犯行にかかる株取引を行おうとしたものであるから、不合理な株取引禁止令に反したからといって取締役としての任務に違背したとはいえないと主張する。

しかし、当時、東京佐川急便では、被告人らが大量の資金を投じて投機的取引を続けており、業界新聞にも東京佐川急便が仕手筋となっているとの内容の記事が出ていたほどであり、その結果会社に莫大な損害を発生させており、これが清和商事側に露見しないようにしていたのであるから、業務統括会社でかつ東京佐川急便の株式総数の過半を持っている清和商事側から、いかなる事情によるものであれ、新たな株取引を禁止するとの命令が出されたことに問題があるとはいえない。したがって、少なくとも新たな株取引を禁止することとされたことに異議を述べられない状況にあったことは明らかである。

禁止令につき弁護人が特に問題にしているのは、保有株の即時売却を命ずる部分であると考えられ、これに従えば、東京佐川急便に多大な無用の損害を生じさせることになり、金融機関の信用問題にもなるので、それを防止するために、株を疎開させ、徐々に売却することにより損害を少なくして会社の利益を図ろうとしたというのであるが、しかし、これまで長い間にわたり損害を拡大させ続けていたことに対して、新たな株取引を禁ずる命令が出されているのであるから、少なくとも新たな取引を禁止する部分に違反することはできない筋合である。東京佐川急便の利益を第一に図るべき取締役としては、株式保有状況等の詳細を清和商事側に説明し、少なくとも即時売却を命ずる部分については再考を求めて、損害の拡大を防止するとともに、その回復を図るための適切な措置を講ずるように努めるべきであるのに、これを受け入れたまま、前記のように損害発生の認識を抱きつつ禁止令に違反して、更に会社に新たな損害を生じさせるおそれのある行為をすることは、会社の利益を図り無用な損害を避けるべきことが要請される株式会社の取締役として許されるところではないといわなければならない。したがって、株取引を禁止されているのに、少なくとも新たな株取引に使用される部分を含む資金を調達するために、被告人が法外ともいうべき極めて多額の本件の各保証及び貸付けを行ったことは、その株式会社の取締役としての任務に違反するものと認められる。

そして、被告人及びBは、これまでのDを会長とする清和商事側の佐川急便グループに対する人事権等の発動の状況からしても、株取引禁止令中の即時売却命令の部分についても、命令に従わなければそのことを理由に東京佐川急便の幹部らが責任を取らされ、従った場合でも多額の損害を実現させたことを理由に同様に責任を取らされる結果になることを強く恐れていたものと認められる(甲三〇〇号証添付の融資先銀行のりん議書の内容等参照)。だからこそ、そのような結果を避けるためには、売却による損害の現実化を防止し、かつ命令にできるだけ従ったように装うことが是非必要であると考え、しこった株を時価又は税法上許される範囲のやや高めの価格で買い取らせ、売却命令に従ったように見せるとともに、東京佐川急便における損失の実現をできるだけ小さく見せようとしたものと認められる。また、新たな取引により利益を上げて売却損等の損害を減少させようとするのも、これまでの経験から成功するかどうかは疑わしく、金利その他の負担を考慮するとかえって損失を生じさせる危険も十分予想されたのに、そうしない限りいずれ責任追及を免れず、経営権すら失いかねないこととなるおそれがあり、Cや被告人が長期間営々と努力を続け築き上げてきた会社経営における地位を失う結果となることだけはどうしても避けたいという思いが当然ながら被告人にはあったことから、そのような責任追及をできる限り免れようとして、差し当たりの追及を避けるべく、本件各犯行に及んだものと認められる。その限りにおいて被告人及びBの検察官調書の記載部分は信用することができる。したがって、確かに株売却による損害を少なくするとともに新たな取引により利益を出して穴埋めをしたいという気持ちがあったことは事実であるが、これまでの取引における経験や、法外ともいうべき大量の資金を投ずることに伴う損害の危険の大きさからしても、また新たな株取引を禁止されていることからしても、利益の発生が明らかであるというよほど確実な見込みがない限り、本人である会社の利益のために本件犯行を行ったものとは到底言えず、前記認定のとおりの目的の下に行動していたことを優に認めることができる。

リバスター音産に対する貸付けについても、右に加え、禁止令に違反して大掛かりな株取引をしていたことが露見することによっても同様の結果を招くことになることを免れようとしたものと認められ、その限りにおいて被告人及びBの検察官調査は信用できる。したがって、右認定の目的の下に行動していたことを優に認めることができる。

Ⅱ  北祥産業、北東開発事件についての主な争点に対する判断

一  損害発生の認識について

1 前掲の関係各証拠によれば、以下の事実が認められる。

平成二年三月の時点で、北祥産業、北東開発両社の金融機関からの借入総額は、約六三〇億円に達し、そのうち東京佐川急便の保証による分は、約五四〇億円にも達していた。一方、当時の北祥産業、北東開発両社を合わせた資産は、取得価格が約一六四億円の不動産のほか、Gの関連企業に対する貸付金(約三〇〇億円前後)がほとんどであった。したがって、仮にその貸付金が全部回収できるとしても、右両社は大幅な債務超過の状態にあった。その上、貸付先にあたるG及びGの関連企業が行っていた事業は、主として、岩間カントリークラブ、谷田部カントリークラブ、ゴールドバレーカントリークラブの三か所のゴルフ場開発とG個人の東急電鉄株の取引であったが、当時これらは全体として収益を上げ得る状態にはなく、かえって破綻状態にあるものが少なくなかった。各事業等の状況は以下のとおりである。

(一) 北祥産業、北東開発の所有していた不動産は、いずれも金融機関から借り入れた資金で購入していたものであるところ、これらはすべてその借入金(残高約一六〇億余円)の担保に供されていて、処分しても両社の他の債務の返済に充てる余力は全くなかった。

(二) 岩間カントリークラブはほぼ完成し、平成元年中に会員資格保証金名目で三八四億円が集められ、その一部は岩間カントリークラブの債務の返済に充てられたが、残りのほとんどを占める約二〇〇億円については、Gの東急株購入資金に充てられてしまっていた。そして、右債務の返済にもかかわらず、岩間カントリークラブにはなお約二一〇億円の債務が残っていた。

ゴールドバレーカントリークラブは、用地の約九二パーセントの買収を終えていたものの、残りの用地については買収に頑強に抵抗する地主がいるため、用地取得が難航していて開発が危ぶまれる状態にあった。また、その当時、ゴールドバレーカントリークラブの金融機関からの借入金は、約二六〇億円であったところ、仮に残地の買収が成功したとしても、今後の用地買収資金、造成工事費、金利等に少なくとも約二〇〇億円を必要とすることが見込まれるのに対し、ゴールドバレーカントリークラブにおける会員権販売価格は四〇〇億円ないし四八〇億円程度しか見込めない状況にあったため、収支がとんとんになれば良いというほどの見通しであって、北祥産業、北東開発の債務までを弁済する余力は見出せない状態であった。

(三) 谷田部カントリークラブは、その開発名目で約五〇〇億円を借り入れながら、わずかの用地(一二億円程度)しか取得しておらず、その余の資金はGの株取引資金に充てられたり、G関連会社に流れていた。谷田部カントリークラブについては、平成二年六月までに開発許可に必要な地権者の六〇パーセントの開発同意を得ていたが、これは、谷田部開発名目で北東開発が必要とする資金を金融機関から借り入れる必要からやっと同意を取り付けたものであり、開発の見通しはもともと暗く、開発を行っているという形を作らないと融資の道が閉ざされることになるので、ようやく同意を取り付けることに成功したに過ぎなかった。その上、開発許可を得るには、これから三年以内に用地の九〇パーセント以上を確保する必要があったところ、三年で九〇パーセント以上の用地を取得することは客観的にも極めて困難であった。また、近隣の地価が急上昇したこともあって、従来の計画のままで用地を取得しようとすれば、用地代だけでも八〇〇億円が必要となり、用地の相当部分を借地にして用地代を削減しても、更に投入する資金として少なくとも五〇〇億円が必要となる見通しであり、開発に成功して会員権を販売できたとしても、それによる収入は最大限五〇〇億円程度しか見込めない状況にあったから、谷田部カントリークラブの開発により、北祥産業、北東開発の債務を弁済することを期待することは到底不可能であった。

(四) Gは、前記岩間カントリークラブから持ち出した約二〇〇億円のほか、北祥産業、北東開発から借り入れた資金及びこれらで購入した株を担保にした証券会社の系列金融機関(証券金融)からの借入金を原資として、平成元年四月ころからほぼ東急株一本に絞ってこれを買い占める方法により株取引を行っていた。東急株は、平成元年一一月には三〇六〇円の最高値を記録し、そのころには、Gは発行済株式総数の約三パーセントにあたる三一七〇万株(取得価格約五五〇億円)を買い付け保有するに至ったが、そのうち証券金融からの借入金により購入した分も合計約三〇〇億円を超え、購入した株がその担保に差し入れられていた。平成二年三月ころには、東急株の株価は一八〇〇円台になるなど急落し、そのころ、Gは証券金融から追証を求められるに至った。そして、時価が購入価格を下回るようになったため、Gの株取引は破綻状態に陥いり、ここでも多大な損失発生が予想された。

(五) それ以外の多数のG関連企業は、いずれも利益を生み出しておらず、これらの企業に回された資金を回収することは困難な状態にあり、回収できる見込みも一部にとどまり、北祥産業、北東開発の債務超過の状態がますます拡大することは必至であった。

そして、北祥産業、北東開発は、平成元年に入ったころから、大幅な債務超過の状態で、その債務を弁済する資金の当てのないまま、月々の運営資金、それまでの借入金の金利(一年間約五〇億円に上る計算になる。)、返済期に至った借入金の返済資金に充てる資金を全部、新規の借入金や旧債務の借替えないしは返済期の延長で賄うなど、自転車操業の状態にあった。ところが、平成二年三月には、「暴力団株で太る」という見出しの記事が新聞に掲載されたため、北祥産業、北東開発は、それまで貸付けを受けていた昭和リースなどの金融機関から、既存の借入金の返済を求められ、更には借替えも含めた新規の貸付けを断わられるなど、資金繰りにますます窮するようになった。そして、平成二年四月から施行された総量規制により、一般的に金融機関からの借入れが困難になったばかりか、既存の債務の返済要求がきつくなってきて、平成二年四月には、同年五月の北祥産業、北東開発の資金繰りのめどが立たなくなり、北祥産業の資金担当の常務取締役で、北東開発の資金担当も行っていたLは、Hに、このままでは五月の資金繰りのめどが立たないので、Gと交際のある川崎定徳社長のMを頼るしかないと泣きつくに至った。

2 以上の事実によれば、本件各犯行当時、北祥産業、北東開発は、大幅な債務超過の状態にあって、G及びその関連企業に回した資金の回収を受けない限り早晩倒産するに至る状態にあったが、G及びその関連企業も全般的に債務超過の状態にあり、北祥産業、北東開発がこれらに貸し付けた資金の回収を図ることはもはや困難であって、経済的に破綻していたというべきである。

そして、本件当時、北祥産業、北東開発は、東京佐川急便の保証により金融機関から新たな借入れを行い、あるいは東京佐川急便から新たな貸付けを受けることによって、差し当たっての倒産は回避していたのであるが、それ以前の債務の弁済すらおぼつかないのであるから、そのままでは早晩資金手当に行き詰まって倒産することは必至であったというべきであり、新たな金融機関からの借り入れ、あるいは東京佐川急便の貸付けは、いたずらに北祥産業、北東開発の返済できない債務を増加させるに過ぎない状態に陥っており、そのような借入れや貸付けをすることは、東京佐川急便の損失を拡大させる結果になるに過ぎないものであった。

そして、前記各証拠によれば、被告人はHあるいはLの言動等により、CはHの言動等によって、遅くとも平成二年初めころまでには、北祥産業、北東開発の借入金のかなりの部分がG及びG関連企業に流出していること、Gが、右流出した資金のかなりの部分のほか、購入した株を担保として更に証券金融から借り入れた資金をつぎ込み、平成元年ころから東急株一本に絞って株取引を行ってきていたこと、しかし、価格が下落して証券金融から追証を求められるなど、その株取引は破綻状態にあったこと、ゴルフ場事業の進展状況についても、谷田部カントリークラブはほとんど用地を取得しておらず完成の見通しも暗いこと、ゴールドバレーカントリークラブは残地の買収で苦労している上、開発に成功しても収支とんとんに過ぎないこと、「暴力団株で太る」との新聞記事や総量規制で北祥産業、北東開発の資金繰りがそれ以前に比して一層苦しくなっていたことなどの概要を認識していた。

そうすると、被告人もCも、遅くとも、平成二年五月初めころまでは、北祥産業、北東開発ともに資金を投入し続けなければ直ちに倒産するに至る状態にあるが、G及びG関連企業を含めてその債務を返済する当てはなく、東京佐川急便の保証で金融機関からの新たな借入れや東京佐川急便からの貸付けを受けても、差し当たっての倒産を防ぐことができるに過ぎず、最終的には東京佐川急便が保証債務を履行することになり、あるいは東京佐川急便の貸付金が回収不能になって、損害が拡大する結果となることにつき十分認識していたものと認められる。

二  任務違背について

前記一記載のとおり、遅くとも、平成二年五月初めころ以降の時点では、北祥産業、北東開発が金融機関から借入れをする際に、東京佐川急便が保証すること、あるいは、東京佐川急便がこの両社に貸付けをすることは、そのままでは東京佐川急便が保証債務を履行することとなり、あるいは貸付金が回収不能となって、損害が拡大する結果となるのであるから、東京佐川急便の代表取締役社長であるC、経理担当の常務取締役である被告人には、保証あるいは貸付けをしてはならず、あえて保証あるいは貸付けをする場合には十分な担保を供させる、あるいは使途を限定するなどの前記任務を有していたというべきである。

なお、本件の保証及び貸付けについては、いずれも事前にHが包括的あるいは個別的にまずCの承諾を得た上、被告人の承諾を得ているところ、Cは、東京佐川急便の前身会社の創業者で、本件当時、東京佐川急便の株式の約三六パーセントを所有していたのに対し、被告人はいわゆるサラリーマン重役に過ぎない立場上、既にCが承諾している案件について、被告人が拒否しにくかったことは想像に難くないが、株式会社の取締役は会社に対して忠実義務を負い、会社の利益を第一に行動すべきであるから、被告人はCの事前の承諾の有無にかかわらず、東京佐川急便の利益を第一に本件の保証及び貸付けについて承諾すべきか否かを判断決定すべきであったのであり、Cが事前に承諾を与えていたからといって、もとより被告人の任務違背の有無に影響を及ぼすものではない。また、本件当時、東京佐川急便の株式の約六四パーセントを支配していた清和商事側のDが、東京佐川急便がGに関連して一〇〇〇億円まで保証することについて承諾を与えていたとしても、その趣旨は、ゴルフ場の開発資金につき東京佐川急便側の判断で保証してもよい限度として了承したに過ぎないものであって、無条件に保証してもよいという趣旨のものではないことは明らかであり、ましてやGの株取引資金等に充てる資金の借入れにつき保証することまでも了承していたものとは考えられないから、そのことが被告人らの任務違背の点に影響を及ぼすものではないことも、同様である。

三  図利目的について

本件の東京佐川急便の保証あるいは貸付けについては、右保証あるいは貸付けにより、北祥産業、北東開発に、ひいてはGに経済的な利益が生じるから、これらの者の利益が図られていることになり、少なくとも既にこの点で図利目的が認められる。そして、C及び被告人は、もし融資等を打ち切れば、北祥産業、北東開発の倒産を招き、これらに対する従前からの放漫な貸付け、保証等の事実が明らかになり、経営責任を追及されることになるのは必至であるから、これを回避し、経営権を維持確保するという被告人及びCの利益を図る目的を併せ持っていたことも、また明らかである。

(法令の適用)

被告人の第一の犯罪事実記載の表Ⅰの番号1ないし3の各行為、第二の犯罪事実記載の行為並びに第三の犯罪事実記載の表Ⅱ(一)の番号1ないし7及び同表Ⅱ(二)の番号1、2の各行為は、いずれも刑法六〇条、商法四八六条一項(B、G、Hとの共謀につき、さらに刑法六五条一項)に該当するところ(なお、罰金刑の下限につき、刑法六条、一〇条により、軽い行為時法である平成三年法律第三一号による改正前の罰金等臨時措置法二条一項による。)、その定める刑のうちいずれも懲役刑を選択する。以上の各罪は、刑法四五条前段の併合罪であるから、同法四七条本文、一〇条により、犯情の最も重いと認める第三の表Ⅱ(一)の番号7の罪の刑に法定の加重をし、その刑期の範囲内で被告人を懲役四年六か月に処し、同法二一条を適用して、未決拘留日数中三六〇日を刑に算入することとする。

(量刑の理由)

一  本件は、大手運輸会社である東京佐川急便の取締役であった被告人が、株式会社の取締役としての任務に背き、合計七〇七億円という多額の金銭について連帯保証、貸付けをして、会社の損害を負わせたことを内容とする特別背任罪の事件であるが、その中でも、とりわけ強い非難を免れないものは、北祥産業、北東開発事件である。

北祥産業、北東開発事件は、東京佐川急便が暴力団稲川会の最高幹部であるGが経営する企業である北祥産業、北東開発に合計一五七億円という莫大な金額の保証を行ったもので、それ自体重大かつ悪質な事件である。右事件により得られた資金の相当大きな部分が、それまでの東京佐川急便の保証債務等の負担を消滅させる主債務の返済に使用されていることを考慮しても、従前よりも数十億円にも上る莫大な損害を発生拡大させている事実は否定できず、その被害は一部を除き回復されないままに終わっている。そして、その損害が後記の市原観光開発事件、リバスター音産事件による損害等と相まって、東京佐川急便の経営を著しく悪化させた一因ともなっているものであって、発生した結果も誠に重大である。そもそも暴力団幹部が経営する企業に対して莫大な保証や貸付けをすることそれ自体が、企業活動への暴力団の進出を助け、その資金源の確保につながるものであり、社会からの排除が叫ばれて久しい暴力団の存在をより強固にするものとして、到底許されるものではないのに、被告人らは、取締役としての任務に背いてまでこのような行為に及んだものであって、社会的にも厳しい非難を免れないし、暴力団関連企業に莫大な資金援助をしたことによる東京佐川急便の社会的評価の低下も軽視することができない。

被告人は、北祥産業、北東開発が暴力団幹部の経営する企業であることを認識しながら、経理担当の常務取締役として莫大な資金援助の手続きを実行している上、Cの指示に従ったものとはいえ、北東開発の代表取締役社長に就任して、同社が暴力団の影のない会社であるかのような工作に加担し、その活動を容易にさせるなどしており、その果たした役割も軽視できず、その責任は重いというべきである。なお、被告人、Cの当初の意図とは異なり、北祥産業、北東開発に対する資金援助の結果、抜き差しならない状態にあり、損害が拡大する結果となったことも否定し難いが、他人の犠牲を顧みず自らの利益を図ろうという暴力団の性格上、いったん関係を持てば、このような結果になりかねないことは当然に予想すべきであって、意外な結果になったからといって、被告人らの責任が軽減される筋合いのものではない。

二  北祥産業、北東開発に対する資金援助は、その動機が暴力団の勢威を企業活動その他で利用しようとすることにあったことから、社会的に大きな衝撃を与えたが、当初から意図されたものではないものの、本件の過程の中で、右翼団体による首相候補者に対する街頭宣伝活動をGの働きかけで中止させるなど、暴力団の力が現実に政治活動の一部に利用される結果となったことも衝撃的な出来事であった。また、このような中で、親交を深めていた有力政治家の力によって本件の告訴を取り下げさせようとDに働きかけようとしたり、経営危機に陥った東京佐川急便に対する金融機関からの資金援助を親交を深めていた元首相や右有力政治家を介して要請したりしたことは、公私混同のそしりを免れないものであって、幸いにも告訴取消についての働きかけは功を奏することなく終わり、金融機関に対する働きかけの点もCらが先に取締役を解任される事態になって結果を生ずるには至らなかったものの、このような暴力団と企業との癒着や、企業と政治家の間における公私混同、更には政治活動に暴力団の力が利用されるような事態が生じ、広まるようなことになれば、社会にも極めて大きな害悪が流されることになるのであって、企業経営及び政治の倫理が今改めて厳しく問われなければならないとの思いを深くする。

被告人は、政治家との交流には関与してはいないが、経理担当の常務取締役として暴力団幹部の経営する企業に対する資金援助の手続きを行うことにより、企業やその幹部と暴力団幹部との癒着を助けたばかりか、それがひいては政治活動にまで暴力団の力が利用されることにつながり、大きな社会的反響を呼ぶ結果になっているのであって、その面でも相応の責任を負うべきであることは否定できない。

三  次に、市原観光開発、リバスター音産事件について見ると、まず、東京佐川急便における仕手株取引等の投機的株取引によって莫大な損害が生じている以上、東京佐川急便の株式保有関係及び業務統括契約に基づき、Dを代表取締役会長とする清和商事から、新たな株取引につき禁止令が出されたのは当然であり、またそれまでの責任を問われることになるのは致し方のないことである。したがって、売却命令にできる限り従う形を取るとともに、その損害を小さく見せかけ、あわよくばその損害の縮小を図ることにより、なんとかして責任問題が顕在化するのを回避しようとして、多額の株取引資金調達のために右各犯行を行ったことは、到底許される筋合のものではない。被告人は、主犯として関与し、結果として、三〇〇億円を超える莫大な実損害を東京佐川急便に負わせており、しかも被告人には被害回復の資力もないのであって、その面からすると、被告人の責任は誠に重いというべきである。

四  しかし、次のような事情を考慮すると、被告人の果たした役割は、北祥産業、北東開発事件では従属的であったといえるのみならず、市原観光開発、リバスター音産事件も、Cの意向を受けて行った犯行であることが窺われるのである。

まず、本件全体の背景には、東京佐川急便の経営権をめぐる問題が存在していた。すなわち、東京佐川急便の営業区域の一部を他の会社に担当させるなどのDの行動に対して、東京佐川急便の存立を守るために、Cがやむを得ずDに六〇パーセントの株を無償で提供した結果、もとはCの個人会社であった東京佐川急便がDの支配する会社となったという歴史があり、さらに佐川急便グループに属する会社の社長がDによりしばしば更迭されるという状況の中で、清和商事の統括下にありながらも、Cは、なお東京佐川急便の社長としての地位及び実質的な経営権を維持確保しようとしていたのである。

Cは、Dが政治家や暴力団と交際があると考えていたため、経営権や地位を守るためには自らも政治家と深く交際するのみならず、暴力団の影響力をも背景にして、D側に対抗しようと考えるに至ったものであって、日本有数の暴力団の最高幹部であったGとの交際も、その発端はG側の働き掛けによるものではあるが、右のような思惑もあった上、自らのスキャンダルの揉み消しなどをGが解決したことから、その影響力の大きさを実感して、Cも積極的に交際を深めていったといえる。そして、Gとの交際を深め、その影響力を今後も自らの目的に利用しようという思惑の中で、CはG側の要請に応じて莫大な資金援助を行ってきたのであり、その中で北祥産業、北東開発事件が発生してきたのである。

また、東京佐川急便では多額の資金を投入して仕手株取引を含む極めて投機色の強い株取引を行っていたが、なぜこのような株取引を行う必要があったのか、なぜ損失が続くのに中止せず、かつ担当者であったBに継続させてきたのか、必ずしも明らかでない。しかし、東京佐川急便における株取引の中には本来の投資目的のほかに、どの程度行われていたかの立証はないものの、裏金作りや第三者への利益供与等にも利用されていた疑いがあり、そのような目的のためにも、右のような株取引を行い、かつ莫大な損害が生じているのに継続していたのではないかとの疑問を拭い去ることができない。そして、市原観光開発事件、リバスター音産事件も、東京佐川急便における株取引において莫大な損害が生じ、さらには、途中から東京佐川急便の株取引の一翼を担うようになったリバスター音産の株取引においても莫大な損害が発生している中で、株取引禁止令を契機として発生してきたものなのである。

以上のような事情からすると、C自身の経営方針や判断が、本件の背景の重要な部分を形成していることに留意すべきであり、市原観光開発事件、リバスター音産事件において被告人が果たした役割を考慮する際にも、Cの意向が背景になっていることが窺われることを看過すべきではないと考える。

五  そして、東京佐川急便は当初はCの個人会社で、本件当時もその株式の約三六パーセントを保有し、設立以来、代表取締役社長の地位にあったことなどから、株式の支配関係にかかわらず、Cが東京佐川急便のワンマン社長として実質的に支配経営していたのであって、その中で被告人は、いわゆるサラリーマン重役として、Cの意向には逆らい難い立場にあった。被告人は、暴力団に関連する企業に対する資金援助の実務担当者として、また東京佐川急便における株取引の責任者として、重い責任を負わなければならないことは明らかであるが、いずれも右のような背景の中で、Cの腹心として、Cの判断と指示に従って、忠実に業務を行っていたものであり、本件各犯行において、被告人がCの意向に従わざるを得なかったという面は否定できず、また本件各犯行は主としてCのために行われているのであって、その意味で、被告人は従属的な立場にあったということができる。

特に、北祥産業、北東開発事件については、被告人は、本来東京佐川急便が暴力団と関係を持つことには否定的な考えを持っており、Cの方針に従わざるを得ない立場上、その指示に従っていたもので、自ら積極的に暴力団との交際を推し進めようとしていたものではなく、むしろ、消極的に対応していたものと認められる。

また、市原観光開発事件、リバスター音産事件についても、被告人の意図したところは、自らの地位確保というよりも、むしろCの地位とその経営権の維持確保に主眼があったというべきであり、かつ、Cこそが株取引を続けるか否かを最終的に判断し、いつでも危険な株取引を中止できる立場にあったのであるから、事件の背後にCの意向があることは十分窺うことができる。加えて、市原観光開発事件、リバスター音産事件の契機となった株取引禁止令は、保有株の即時売却を命じる部分を含んでおり、これに従えば東京佐川急便の損害が拡大することになりかねないことから、やや性急に過ぎるところがあったことは否定し難い。そして、被告人らは、東京佐川急便の経営権の維持確保を主たる目的としていたとはいえ、そのためにしこり株の売却損を少なくし、かつ新たな株取引により得られる利益でこれを埋めようと考えたのであるから、東京佐川急便の経済的な利益を図る意図があったことも否定し難い。これらの事情にかんがみると、市原観光開発事件、リバスター音産事件について被告人の刑事責任を問うに当たっては、自ずと限度があるものと考えられる。

六  また、被告人は急成長を遂げてきた東京佐川急便の発展に長きにわたって貢献してきている。北祥産業、北東開発事件の後ではあるが、被告人が暴力団幹部の自宅に単身で乗り込んで東京佐川急便の債権を確保しようとしていたことも認められる。そして、被告人が個人的に暴力団関連企業や市原観光開発から経済的な利得を得ていることは否定できないにせよ、その他の関係者が得たものと比較すると、その利得はささいなものと評価できる。また、被告人には前科がない。

七  以上によると、被告人の刑事責任は誠に重いというべきであるが、事件の背景や東京佐川急便内における被告人の立場等を考慮するとともに、被告人が東京佐川急便の発展に貢献してきていること、前科がないことなど、被告人に有利な事情を十分勘案して、被告人には主文の刑を科するにとどめるのが相当であると判断した。

(検察官金田泰洋、同河村博、弁護人山田宰、同石原達夫公判出席。求刑 懲役七年)

(裁判長裁判官小出錞一 裁判官景山太郎 裁判官加藤就一は、転補のため署名押印することができない。裁判長裁判官小出錞一)

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